(第421号)郷土ゆかりの画家 大沼貞夫(令和5年7月1日号)
市内の学校では、卒業生や地域の人々から寄贈された郷土ゆかりの芸術家の作品を中心に、多くの美術資料が今日まで受け継がれてきました。それらは玄関や廊下、会議室などに飾られ、学校に通う子どもたちがいつでも見られるようになっています。
今回は令和5年度開催の企画展「学校の美術品展Part1」で取り扱った画家の中から大沼貞夫氏(1930-2014)について紹介します。
大沼貞夫氏は昭和5年(1930)、沼津市に生まれました。大学は武蔵野(むさしの)美術大学西洋画科に進学し、首席で卒業しています。また、在学中には独立美術展(現・独立展)に入選、25周年記念展奨励賞受賞を機に独立美術協会(戦前から続く洋画家団体)の会友に推挙されるなど、20代のうちから洋画界で頭角を現していきました。
大学卒業後は公立中学校の美術教師としての道を選びました。昭和39年には三島市の文化使節として、姉妹都市パサディナ市(アメリカ合衆国カルフォルニア州)の小中学校で美術教育の視察・指導をしています。退職後も三島市美術展の審査員や三島美術協会会長を務めるなど、地域の美術普及に貢献されました。
大沼氏はそうした教育活動のかたわら、自身の作品制作にも精力的に取り組みました。その作品群の一部は平成4年(1992)に日象展に入選したほか、東京都知事賞、国土庁長官賞などを受賞しています。
大沼氏は若いころから人物画を多く描き、その中で新しい表現に挑戦し続けていました。30代で世界一周を体験した後は、主に中近東やシルクロードを舞台とした至福に満ちた人間像を好んで描いています。また、年を重ねるにつれて「温故創新(おんこそうしん)」(過去の事実を研究して新しいことを知るだけでなく、それを形にして創り上げていくこと)という新たなテーマに挑戦しています。世界の文化遺産や古典などを数多く取材し て、構想的な作品を製作するようになりました。
この《タイの少女》は平成15年(2003)、大沼氏が73歳の時に作成し、沢地小学校に寄贈されたものです。こ の時期の大沼氏が試みた新たな表現手法であるバーミリオン、鮮やかな赤の色彩が印象的な作品です。
【広報みしま 令和5年7月1日号掲載】
今回は令和5年度開催の企画展「学校の美術品展Part1」で取り扱った画家の中から大沼貞夫氏(1930-2014)について紹介します。
大沼貞夫氏は昭和5年(1930)、沼津市に生まれました。大学は武蔵野(むさしの)美術大学西洋画科に進学し、首席で卒業しています。また、在学中には独立美術展(現・独立展)に入選、25周年記念展奨励賞受賞を機に独立美術協会(戦前から続く洋画家団体)の会友に推挙されるなど、20代のうちから洋画界で頭角を現していきました。
大学卒業後は公立中学校の美術教師としての道を選びました。昭和39年には三島市の文化使節として、姉妹都市パサディナ市(アメリカ合衆国カルフォルニア州)の小中学校で美術教育の視察・指導をしています。退職後も三島市美術展の審査員や三島美術協会会長を務めるなど、地域の美術普及に貢献されました。
大沼氏はそうした教育活動のかたわら、自身の作品制作にも精力的に取り組みました。その作品群の一部は平成4年(1992)に日象展に入選したほか、東京都知事賞、国土庁長官賞などを受賞しています。
大沼氏は若いころから人物画を多く描き、その中で新しい表現に挑戦し続けていました。30代で世界一周を体験した後は、主に中近東やシルクロードを舞台とした至福に満ちた人間像を好んで描いています。また、年を重ねるにつれて「温故創新(おんこそうしん)」(過去の事実を研究して新しいことを知るだけでなく、それを形にして創り上げていくこと)という新たなテーマに挑戦しています。世界の文化遺産や古典などを数多く取材し て、構想的な作品を製作するようになりました。
▲「タイの少女」
この《タイの少女》は平成15年(2003)、大沼氏が73歳の時に作成し、沢地小学校に寄贈されたものです。こ の時期の大沼氏が試みた新たな表現手法であるバーミリオン、鮮やかな赤の色彩が印象的な作品です。
【広報みしま 令和5年7月1日号掲載】