文芸三島第46号 表彰式
「文芸三島」は毎年6月~7月の期間で作品を募集し、応募作品の中から各部門ごとに「文芸三島賞」1本(※)と、「文芸三島奨励賞」が数本選ばれます。
令和5年度は12月15日に三島市民生涯学習センターにて文芸三島第46号入賞者の表彰式が開催されました。
※部門により該当なしの場合あり
令和5年度は12月15日に三島市民生涯学習センターにて文芸三島第46号入賞者の表彰式が開催されました。
※部門により該当なしの場合あり
文芸三島賞受賞者コメント
小説部門 並木 涼 さん
随筆部門 清水 恵 さん
詩部門 谷 和子 さん
短歌部門 三浦 郁文 さん
俳句部門 杉山 眞知子 さん
川柳部門 野次馬 さん
はめ字文部門 泉明寺 邦彦 さん
このたびは小説部門の文芸三島賞をいただき、誠にありがとうございました。応募作品は一枚の写真から胚芽を受け誕生したものでした。父親の背中の向こうから幼い娘がボールを蹴ろうとするところを撮った写真なのですが、思い返してみてもどこで見たものか特定できないのです。過去の記憶の中なのか、夢の中だったのか。写真の中の何か(人生に触れる何か)が強く私の心を捉えたようでした。誰かに導かれるようにして書き終えたこの作品を、亡き親友に捧げたいと思います。 |
随筆部門 清水 恵 さん
このたびは文芸三島賞を賜り心より御礼もうしあげます。 今作は亡き父が終戦直前に遭遇した海戦のことを書かせていただいたものでございます。ロシアのウクライナ侵攻以来、昨年は太平洋戦争による我が国の戦禍を掘り起こすテレビ番組も多く、父からは聞かせれずじまいの海戦場所も知るに至りました。幸い父はその海戦で命拾いをいたしましたが、海戦で亡くなられた方々への供養も兼ね、本年、現地の海岸を訪ねることも叶いました。戦後七十八年、我が国の戦禍を語り継ぐ人も少なくなった昨今ですが、平和への祈りをこめ筆を執った次第です。 |
詩部門 谷 和子 さん
「文芸三島賞」を伝える封筒がポストに届き、言葉を紡ぐ日々を大切にして来たことに大変うれしく光栄に思いました。有難うございました。 善と悪が背中合わせのように「憤怒は愛だ」と。 傘寿を迎え、自分に厳しく、人に優しく、言葉では描き切れない愛もあるのだと思ったのです。 |
短歌部門 三浦 郁文 さん
短歌を始めたのは今私の座右の歌としている「亡き妻などとどうしていえよう手の平が覚えているよ君の手の平」を新聞で読んだのが動機である。当時神戸単身赴任の侘しさがそうさせたのか琴線に触れ落涙した。たかが三十一文字でこれだけの感動を与えるとは!その後NHK生涯教育を受講し、現在短歌結社あるごに所属し作歌活動を続けている。過日この歌は故河野裕子の夫、永田和弘の作品と知った。あれから駄作を重ね現在四千五百首になる。すでに十余年を経過しても秀作には恵まれないが生きる糧として短歌を続けている。 |
俳句部門 杉山 眞知子 さん
私は蛞蝓が大嫌いである。ある夜、台所に小指程の大きな蛞蝓が現れた。私はティッシュに包んで、庭の葉に返した。何度葉に返しても蛞蝓は現れる。私は畏怖を覚えた。そして、今夜も又、現れた。が、なんと今夜は、こぼれた一粒のめしに顔を突っ込んで、うっくん、うっくんと美味しそうに食べているのである。今夜初めてこの蛞蝓に一瞬の愛着を感じた。音もなく、夜の台所で蜜そと生きている。今夜はこのままにしておこう。「書きたい」という人々の気持ちを載せ、第四十六号と歴史を繋げている「文芸三島」誌に心より感謝申し上げます。 |
川柳部門 野次馬 さん
この度は身に余る賞を頂き、本当にありがとうございました。 こんなに驚いたことはありません。川柳を通じ多くの川友との会話や交流を楽しみに続けて来た川柳ですが、こんなご褒美頂けるとは嬉しい限りです。これからも17文字と共に歩む所存です。本日は、ありがとうございました。 |
はめ字文部門 泉明寺 邦彦 さん
だいぶ前に「はめ字」と出会いました。知り合いの方からこんなものがあると作品を見せられ、一瞬で、これはおもしろいと感じ、三島ではめ字の会を主催されていた故田熊先生を紹介され、すぐに仲間に入れて頂きました。25あるマスの内「お題」を除いた19の枠にお題にそってユーモア、しゃれ、世相等を盛り込んだ文を作ります。たった一つのルールは「正しい日本語」を使うこと。「お題」が示されると、すぐに辞書を片手にはめ字づくりにとりかかっています。いつまでも終りのない、楽しい「文芸」です。 |
文芸三島奨励賞受賞者(小説部門)コメント
一藤木 秀光 さん
長月 梓 さん
この度は、ありがとうございました。私は、いつか三嶋暦の歴史小説を書いてみたいと思っていました。それは、三嶋暦師の館での案内を通して、三嶋暦を三島の文化として後世に残すことの必要性を感じたことと、多くの方に三嶋暦という素晴らしい文化が三島にあったことを知って頂きたいと思ったからです。伝えるにはどうしたらいいのか、それには歴史小説がいいと思い投稿しました。賞が頂けて良かったです。三嶋暦の歴史を広めるためにも、これからも書きたいと思います。ありがとうございました。 |
長月 梓 さん
このたびの受賞、ありがとうございました。人は自分と関わった人のことを、何をもって記憶しているのだろう、と思った時に真っ先に「顔」というキーワードが浮かびました。人が自分にどういう顔を向けるか、それは自分が相手の人生に何を与えてきたかの裏返しでもあると思います。また今回、もう一つの顔として学歴というテーマを織り込んでみました。合うはずがなかった二人の物語、お互い相手にどんな顔を見ていたのかを感じていただければ幸いです。 |
文芸三島奨励賞受賞者(評論部門)コメント
四方 凛子 さん
テーマ選び、研究、論の運び方、表現力。いずれも考えることの楽しい評論ですが、追及すればするほど、答えが遠のくような、否が応でも自己との対峙を迫られるような、そもそも評論とは何なのか・・・、暗中模索の執筆活動です。今後も精進したいと思います。 |
文芸三島奨励賞受賞者(随筆部門)コメント
今井 夕子 さん
池本 あいり さん
栗原 敏一 さん
夫は昨年十月、突然に余命一ヶ月と告知された。有効は治療はなし。あるのは只、緩和治療のみ。折しもコロナ禍、面会も儘ならず、夫と話したいことは山程あったのに、何ひとつ語り合うことも出来ずに、彼は帰らぬ人となった。私達は誰よりも仲良しだった。めったやたらに「愛しています。」と言う人でもあった。常に私の前を歩く人であった。あれから一年、私は恐る恐る新たな挑戦を始めている。あなたに逢いたい。沢山の愛をありがとう。初めての応募でこの様な立派な賞を頂きましたこと、感謝申し上げます。本当に有り難うございました。 |
池本 あいり さん
奨励賞を頂きありがとうございます。 拙い文を評価して頂けて、嬉しくまたちょっぴり気恥ずかしい気持ちです。毎年、次は何を書こうと思っていると少しも筆に届きません。こうして書こう、ああして書こうと思っていると何も書けず、ところが、ふっと面白い物事に出会うと“止めてぇ!”と思う程筆が走るのです。 私は、面白い事を見つける、面白いおばさんを続けていこうと思います。「赤いバッグ」を読んで下さる方がこの人面白いわあ と感じて下されば、私にとっての最高の褒め言葉と励ましです。 |
栗原 敏一 さん
この度は、文芸三島奨励賞をありがとうございます。私が文芸三島に応募したきっかけは、三島市出身の歌人と冬道麻子さんの歌碑を目にして、感動したからです。 “初蝉に疾く会いたしと七月の我れは五感の束と成りゆく” 最初この歌を詠んだ時、“我は五感の”部分に違和感を感じたのですが、家に帰りインターネットで冬道さんの境遇を知り、腑に落ちました。同時に感動しました。私も、読む人を感動させる作品を作りたいと思い、この度応募させていただきました。 |
文芸三島奨励賞受賞者(詩部門)コメント
勝間田 育子 さん
夏木 文 さん
深山 幸子 さん
小西 うり さん
奇二 道子 さん
杉山 佳裕 さん
紙と鉛筆があれば詩は書ける。どんな内容を書こうが自由である。たまには自画自賛してみたり、過去の作品を読み返して己の幼稚な表現に赤面したりする。仲間と合評会をすると思わぬところを指摘されたりおだれられたりこれがまた楽しい。寝ても覚めても書かずにはいられないという友人がいるが私はとてもとてもとてもそこまでは。プロの物書きは大変だろうなあと漠然と思う。 これからも細く長く自分なりに自由に書いていこうと思う。 |
夏木 文 さん
心待ちにしていた知らせが届きました。 兄との別れに、沈んでいた心を立ち上げてくれました。 年を重ねるに連れ、発見より、思い出を引き寄せ、懐かしんでいる事が多くなりました。まるで後ろ向きに歩いているようです。そんな時「文芸三島」が刺激を与え前向きにしてくれました。ありがとうございます。 |
深山 幸子 さん
夫の入院生活ですっかり疲れ落ち込む日々。こんなことではいけない。朝日を浴びて歩けば前向きなきもちになれるではと始めた朝のウォーキング。 その道は中学生の中学路で毎日元気な中学生から元気をもらっています。そんな折、真冬の通学路の峠で腹痛で立往生している男子生徒にカイロを渡したことがきっかけで彼との交流が始まりました。 立派な高校生になっての再会の喜びを詩に出来て嬉しく思っています。 |
小西 うり さん
この度は、詩部門奨励賞に選んでくださりありがとうございます。今回の詩は「目で楽しむ」をテーマにして、わたしにとってなじみ深い三島市内の観光地について書きました。ころころと変わる景色を想像しながら読んでいただけたらと思います。今後もたくさんの詩をいろいろな書き方で表現して参ります。
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奇二 道子 さん
この度、文芸三島奨励賞を頂きました。封を開く時のドキドキ感と「受賞」の文字が目に飛び込んで来た時の感激は、他に例えようもありません。第四十六号という長い歴史を支えた要因は何でしょうか。文芸を愛する三島市民の方々の思いを汲み上げられた豊岡市長様始め、選者の方々の膨大な作品への愛あってこそと思われます。 無論、運営される皆様のご配慮は計り知れません。 源兵衛川のせせらぎに見守られ更に大きな文化都市へと発展する三島市。その文芸を通して新しい息吹に触れさせて頂くことの幸運を感じ感謝の思いで一杯です。 |
杉山 佳裕 さん
流れ星を見た。その流れ星は止まらなかった。僕は夢を見ていた。成功する夢を。ただ、ただ、降ってくる流れ星に思いをのせながら。そして、過去の自分を振り返りながら。流れ星を見ている間は一人の時間だ。星ひとつひとつが、他の人の顔に見えなくもない。あの星はあの人だ。この星はこの人だ。都会でこの景色はなかなか味わえないだろう。三島だからこそ味わえる、格別なあの、大きな星であったらな。
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文芸三島奨励賞受賞者(短歌部門)コメント
鈴木 経彦 さん
竹井 英夫 さん
神山 信子 さん
上原 重義 さん
内藤 愛莉 さん
春 さん
NHK学園の通信講座で短歌を始めてから、漸く十余年が経ちました。母や兄が数十年余り短歌をしてきたのに比べますと、やっと初心者の領域を越えたところです。今後も楽しみながらの短歌作りに努め、研鑽に励みたいと思います。 短歌を詠むことによって余生が明るい日々になりますので、伊豆の知人や友人には詩歌への誘いと、「文芸三島」への投稿を呼び掛けている昨今です。 |
竹井 英夫 さん
短歌を作り始めたのは三島に移り住んでからの事、七十歳過ぎてからのことである。見様見真似の悪戦苦闘、なんとか歌らしいものが詠める様になったのは極く最近のことである。日記の積りで書きばいいと或る人に教えられ続けることができたのだ。そろそろ飽きが来る時期ではないかと密かに恐れている此の頃である。しかし、努力をしようと云う気概は持ち続けたいと思う。 |
神山 信子 さん
私は、五回目の挑戦で文芸三島奨励者にはいり、夫とビックリし、喜び合いました。自分の考えは、オリンピックと同じで、参加する事を第一にしています。年を重ねて忘れる事が多くなり「何だっけ」「どこへ置いたっけ」と探しています。短歌は自分詩ですから、頭のトレーニングになります。漢字は、スマホでみる。辞書でも調べてみる。五・七・五・七・七のリズムで誰が読んでも説明なしでわかるのが短歌です。「継続は力なり」を信じます。ありがとうございました。
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上原 重義 さん
今回、短歌部門で賞をつけていただきとてもうれしく思います。投稿のきっかけは八十歳を迎え北上地区のシニアクラブに入会してから。会長に年間行事の一つに俳句大会がある。ぼけ防止に頭をひねったらと誘われその気に。その前は短歌であったそうです。らしきものを作るにも作法が必要と発心し、文芸三島をお手本に図書館通い。今後は湯川先生のコメントにありますように、長く続けることでそれぞれの生活の紆余曲折が描かれてゆく。これを忘れずに、自分なりの描写の中に楽しみを見出していきたい。
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内藤 愛莉 さん
この度は、短歌部門文芸三島奨励賞を受賞することができて本当に嬉しいです。私は今回、学校の授業内で短歌を書きました。今まで私は、あまり短歌を書いたことがなかったので、今回書き上げるのにとても苦戦しました。しかし、今回このような賞を頂けたため、もっと短歌を学んでよりよいものを書きたいと思いました。。
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春 さん
この度は、文芸三島奨励賞を頂き、誠に光栄に思います。短歌を書いている時、頭に思い浮かんだ言葉を書いたので本当に驚きました。授業の課題でしたので、友達が作った短歌を見るのがとても面白かったです。周りの人からのアイデア、どの場面を言葉にしたのか参考になりました。自分の経験や思い出から探す短歌作りはとても印象深いものになりました。友達からのアドバイスなどいただいたおかげで奨励賞を受賞することができました。これからも初心を忘れることなく、また機会がありましたら皆様の記憶に残るような短歌を作りたいです。
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文芸三島奨励賞受賞者(俳句部門)コメント
古長谷 達子 さん
坂本 惠三 さん
天野 幸光 さん
渡辺 範子 さん
なゆ さん
高齢になりました私は、生まれ故郷の友だちや学生時代の友だち、次々と出来る新しい友だち等、多くの方々との交流が、心の支えになっています。
それぞれに、ずっと長く続いている大切な人たちとの関係です。一つ一つの思い出が、消えることなく、心の奥にずっしりと残っています。
今回、それらの思いの中から、俳句に記載させて頂きました。思いがけなく、奨励賞を頂戴致しまして、ありがとうございました。これからも、出来る限り、お友だちと親しくさせて頂きたいと思っております。
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坂本 惠三 さん
地域の大先輩から俳句会へのお誘いを受けてから、早6年の歳月が流れました。俳句とは五・七・五の十七音に言葉を収めること。季語を一つ含めること。この二つの基本のルールをご教示頂き、何も分からず俳句会に参加するようになりました。 時が経つに連れ、その奥深さと難しさに直面しています。この度の奨励賞は一層励めとの叱咤と受止め、今後とも趣味の旅や日々の生活の中で、自然の素晴らしさ、感動や驚きを切取り、素直でシンプルな俳句づくりに努めたいと思います。 |
天野 幸光 さん
小中高の時代、霊峰富士を仰ぐ三島で過ごし、社会人となってからは仕事柄県下を一巡、定年退職を迎える頃第二の人生に於ける生甲斐に何か集中出来るものはないかと思案し、その一つに俳句作りの道を選びました。 なかなか上達しない中、高校時代の友人から「文芸三島」への投句を勧められチャレンジしてみました。 これからも昭和五十三年創刊の伝統ある「文芸三島」のますますのご発展を祈念申し上げます。 |
渡辺 範子 さん
この度は、奨励賞に選出して下さり誠にありがとうございました。 お知らせを頂いた時はとても驚き、そして喜びが込み上げてまいりました。 幾つになっても選ばれたり、褒められたりすることは嬉しいことです。 友人に誘われて気楽に始めた俳句でしたが、学ぶほどに難しく奥深く、また魅力的でいつの間にか引き込まれておりました。 このような素晴らしい世界へ導いてくれた友人、そしてご指導を賜る句会の先生や仲間達に心から感謝申し上げたいと思います。 これからも、この素敵な世界を楽しみ、大切にしていきたいと思います。 有難うございました。 |
なゆ さん
この度は文芸三島奨励賞に選んでいただきありがとうございます。受賞したと聞いた時とても嬉しく思いましたが驚きもありました。俳句を作るにあたり、自分の生活を見直していました。俳句にしたい場面と季語を合わせながら自分の思いが伝わるように考え、作品を作りました。俳句を自分で作る機会はほとんど無かった作る楽しさや大変さも知れたので俳句を作ろうと思って良かったなと思いました。これからの人生でもう一度俳句を作る機会があるかはわかりませんが俳句を作る楽しさは忘れないようにしたいと思います。 |
文芸三島奨励賞受賞者(川柳部門)コメント
木村 睦美 さん
進藤 宇宙 さん
三島現代地口川柳の会に参加させて頂いてから、八年の月日が過ぎました。未経験からの出発でした。川柳には季語がありません。俳句と違って世の中の風刺、滑稽さが特徴でユーモアもあります。それを五七五とたった十七音で表現するには、言葉をいっぱい知らなくてなりません。新聞に目を通すことが多くなりました。言葉の持つ意味や創造力を働かせて、これからも素敵な日本語の言葉遊びをしていきたいと思います。 何歳になっても表彰して頂くことは、この上ない幸せを感じています。ありがとうございました。 |
進藤 宇宙 さん
古希を過ぎて華麗(加齢)世代となり、もの忘れがチョイチョイ増えてドッキリすることが多々あります。私の記憶の格納庫にどれほどの量を保持しているのかと思ったときに作った句です。徐々に忘れていくのかなあと周囲にグチると、同感!という皆からの声。 まっ、しょうがないか…。そうだ、しょうがないな。自分なりに脳トレをして、今よりも落ちないようにメモ書きは欠かさないようにしています。我が夫は軽度の認知症と診断されて2年余が過ぎました。かなり前に作句した『何回もそのお話は聞きました』が日常の私です。 |
文芸三島奨励賞受賞者(はめ字文部門)コメント
神藏 幾男 さん
諸橋 功 さん
松澤 紘一郎 さん
昨年は名誉ある「文芸三島賞」をいただき感謝しております。「はめ字文」の作成にも、大変励みになりました。今年は「奨励賞」でしたが、連続の受賞となりました。 亡くなられました田熊先生から「はめ字文」には「粋、洒落、遊び」が必要であり、良い作品の条件は「リズムとひらめき」が大切と教えられました。 頭の体操にはなると思われますので、これからも続けていきたいと考えております。 |
諸橋 功 さん
この度、はめ字文部門で奨励賞をいただき、大変喜んでいます。 二十数年前、俳句や川柳と違うはめ字文という聞き慣れない文芸に出会いとりこになりました。与えられた五文字を使い、五×五の枠に文字をはめるのは簡単なようで頭を悩ませる言葉遊びです。 鍵文字から情景を浮かばせ、一つ一つ文字をあてはめて、文章ができてからも何回も書き直し、読んだ人が面白く楽しい作品ができた時は喜びで一杯になります。 みなさんも三島発祥のはめ字文の世界に入ってみませんか。 |
松澤 紘一郎 さん
辰年三月生まれの私は、二〇二四年、八四歳。令和六年の賀状には“行雲流水に倣って、幸運龍粋でアレ”と。 「はめ字文」は、斯道の重鎮・田熊清彦市氏との縁からです。定年退職を機に始め、今でも大好きな三島とつながっています。 今回の作品は「百歳時代」へのエールです。 “暗中もさく 彷徨(さまよ)う一生 もうすこし 百歳こえて 感謝し往生” 目指すは、粋な百歳です。米寿や卆寿を過ぎ、百歳万歳。 |