富士山と大根干し
大根干しは箱根西麓の冬の三島の風物詩
三島では古くから大根が栽培されていましたが、昭和の初めころ、平井源太郎が「農兵節」とともに箱根のだいこんを大々的に世に売り出しました。今では、静岡県下でも有数のだいこんの産地です。特に箱根西麓は火山灰土が積もってできた土地で、根を深くはるだいこんの栽培に適しています。
たくわんに加工されただいこんは、戦前、保存食であり副食でもありました。特に戦中は軍の保存食用として満州国駐在の関東軍司令部に納入され、生産面積も増えました。軍隊用には重視されていたので、1本あたり2~4キロの大型だいこんを干す光景は三島の冬の風物詩として有名になっていきました。
戦後、関西市場への出荷が始まり、最盛期には1シーズン3,000~4,000樽にもなり、昭和33年には全国漬物品評会にて農林水産大臣賞を受賞するまでに至りました。