歴史の小箱
(第4号) 一枚の額が語る歴史 三島黌(昭和62年10月1日号)
横1m51cm、縦60cm、厚さ4cmの、ずっしり重い一枚の額=写真。
「三島黌 明治十一年冬日 実美書」と、大書きされています。これは、三島で最初の公立学校の玄関を飾った額で、多くのエピソードとともに、わが町の貴重な歴史を語ってくれます。
「三島黌」が創立されたのは明治6年4月22日のことでした。場所は久保町伝馬所跡(現中央町郵便局)。明治5年8月の学制発布を機に、それまでの「開心庠舎(かいしんしょうしゃ)」を継続し改名したものでした。驚くべきすばやい町の対応の真には、町民の教育に対する関心の探さがうかがわれます。
明治11年、三島黌新築移転の計画が立てられました。
敷地は、旧陣屋跡(現市役所)と決定。翌12年8月、正面二階建て、左右の両袖は平屋、延べ1,214㎡の、洋風設備を整えた県下第一と言われた公立三島学校の校舎が完成しました。
記念すべき開校式は、折しも来日中のグラント前アメリカ大統領を招き、その歓迎会と竣工式を併せ行い、三島中が喜びで湧きかえりました。
花火を打ち上げ、町中を飾り、料理は東京・上野の精養軒から料理人を呼ぶなどして歓待したといいます。
校舎の玄関には、誇らしげに「三島黌」の額が掲げられていました。文字は町の教育発展を願う町民代表が大変な苦労の未に、時の太政大臣三条実美公にお願いして書いてもらったものです。
後に、この玄関は”グラント玄関”と呼ばれ、永く町民に親しまれました。
(広報みしま 昭和62年10月1日号掲載記事)