歴史の小箱
(第229号)甲斐・相模・駿河の三国同盟 (平成19年6月1日号)
戦国時代には、同盟関係を強化するため、政略結婚が度々行なわれました。婚姻は戦略の一部として行なわれ、同族の生き残りのために献身を強いられるのが女性の宿命でした。
相模国(神奈川県)北条氏と駿河国(静岡県)今川氏は、長い間友好関係にありました。そのため両国の境に近い三島は、戦乱もなく平和でした。しかし、天文六年(一五三七)今川義元が甲斐国(山梨県)武田信虎の娘(信玄の姉)を妻として迎えたことから、今川、北条両家の関係は険悪になりました。
その後、今川、武田、北条氏の間に戦闘が繰り広げられ、戦況は膠着状態となりましたが、臨済寺住職で、今川義元の軍師太原崇孚(雪斎)が仲介し、甲斐の武田信玄、駿河の今川義元、相模の北条氏康三者に不可侵を誓わせました。これが「甲相駿三国同盟」で、いわゆる「善得寺の会盟」で成立したともいわれています。それぞ
れの利害関係から合意にいたった三国同盟は、当主である武田信玄、北条氏康、今川義元の娘がお互いの嫡子に嫁ぐ婚姻同盟として成立しました。今川義元の娘が武田信玄の子義信に、武田信玄の娘が北条氏康の子氏政に、北条氏康の娘が今川義元の子氏真に嫁ぎました。天文二十三年(一五五四)のことです。
北条氏康の娘が今川義元の子氏真に嫁いだおり、伊豆の豊かな水を駿河へ引いたという伝説が残っています。三島市と駿東郡清水町との間に流れる境川の上に架かる用水の橋「千貫樋」のことです。北条氏康から今川氏真に聟引出として小浜池(楽寿園)から長堤を築き、その水を駿河に疎通させたといわれています。この疎水によ
り、駿河側である田畑約百三十㌶が多大な恩恵を受けることになりました。
三国同盟は、三氏にとって、上杉・織田・徳川という強敵を防ぎ、また領地の拡大をしていくために好都合でした。しかし、永禄十一年(一五六八)信玄の裏切りにより破綻してしまいます。
時は移り今、山梨県・静岡県・神奈川県の三県では、甲相駿三国同盟にちなみ、また、富士山を共有するという地域的特徴から、各県の頭文字をとって「山静神サミット」を結成し、平成十八年十月に初会合が開かれました。三県の知事が広域的な行政課題に対して連携して取り組むための意見交換の場として注目されています。
【平成19年 広報みしま 6月1日号 掲載記事】
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