歴史の小箱
(第425号)描かれた三島宿(令和5年11月1日号)
江戸時代、五街道(東海道・中山道・甲州道中・日光道中・奥州道中)やそのほかの脇街道(美濃路、佐屋路など)が整備され、交通網が発達するにつれ、さまざまな街道絵図が作成されました。
代表的な絵図のひとつが、「五海道其外分間延絵図並見取絵図(ごかいどうそのほかぶんげんのべえずならびにみとりえず)」と呼ばれるものです。
幕府によって作成されたもので、各街道の起点から終点まで約1800分の1の縮尺で描いており、文化3年(1806)に完成しました。合計で3部作成され、そのうち将軍に献上されたものは東京国立博物館に収蔵され、重要文化財に指定されています。残る2部のうち現在確認されているのは1部で、道中奉行所に置かれて実務に使用されたと考えられています。使いやすいよう折本(おれほん:横長の紙を蛇腹状に折りたたんで本のようにしたもの)に仕立ててあり、現在郵政博物館に所蔵されています。
「五海道其外分間延絵図並見取絵図」のうち、東海道を描いた「東海道分間延絵図控」から、江戸時代の三島宿の様子をご紹介します。
街道沿いにびっしりと家屋がならび、中でも三嶋大社付近には特に多くの建物が密集していて、にぎわいを見せるエリアだった様子が描かれています。今では多くが道の下にあって見えなくなっていますが、街道に流れ込む川の多さに、「水のまち」としての景観を見ることができます。街道沿いから少し離れた小浜池周辺には寺院のお堂が多数描かれており、現在の楽寿園周辺は宗教的な地であったことがうかがえます。現在の市役所の位置に置かれた陣屋(じんや:代官役所の出先機関)、三島中央町郵便局の場所にあった問屋場(といやば:宿場の事務を執り行った場所)、広小路近くの時鐘(時の鐘)、宿場西端付近の千貫樋(せんがんどい)など、三島宿のランドマーク的施設も細かく描かれています。このよう詳細な絵図が手元にあれば、遠く離れた江戸にいても東海道を通行する計画を立てるのに便利だったことでしょう。
郵政博物館所蔵の「東海道分間延絵図控」は、企画展「三島宿へようこそ」(令和5年10月28日~令和6年2月18日)で展示しています(原本展示は11月26日まで、他期間はパネル展示)。江戸時代の三島宿の様子が一目でわかる貴重な絵図を、ぜひご覧ください。
▲郵政博物館所蔵「東海道分間延絵図控」のうち三島宿部分
【広報みしま 令和5年11月1日号掲載】
歴史の小箱(2023年度)
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