箱根旧街道整備事業

近世東海道の発掘調査

ー箱根旧街道遺跡の石畳ー

箱根旧街道遺跡の石畳


所在地   三島市山中新田~笹原新田


調査目的    箱根旧街道整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査


調査機関    三島市教育委員会


調査期間 ・ 面積
地区名 調査期間 調査対象面積 備考
 願合寺地区 1995 (平成7)年 10月~
1996年 1月
1,678平方メートル 平成7年度整備終了
 腰巻地区 1994 (平成6)年 6月~
1994年 12月
648平方メートル 平成6年度整備終了
 浅間平地区 1996 (平成8)年 7月~
1996年 9月
1,188平方メートル 平成8年度整備終了
 上長坂地区 1996 (平成8)年 7月~
1997年 1月
1,332平方メートル 平成8年度整備終了
 笹原地区 1996 (平成8)年 10月~
1997年 2月
1,548平方メートル 平成9年度整備終了

1 遺跡の位置

 箱根旧街道とは江戸時代の東海道の一部、小田原宿から箱根山を越えて三島宿に至る、いわゆる箱根八里 (約32㎞) を指す名称です。この道は石を敷き詰めた道 (石畳) であったため、古くから 人々に注目され、江戸時代の紀行文や小説にその様子が描写されています。
 山中願合寺地区~笹原地区までの約2.8㎞は、箱根山西麓の標高約 610~380mの尾根上に直線的に作られています。現在の国道1号線が、何度も大きくカーブしながら箱根山を登っていくのと較べると、直線的に作られた箱根旧街道は、非常に急な坂道であったことがわかります。

2 調査の成果 

 (1) 主な遺構と遺物
  これまで発掘調査が行われた全ての地点で、例外なく石畳が確認されています。石材が抜けている所もかなりありますが、これらの部分の石材は石畳の上を急激に流れる雨水の影響や、人の手によって移動してしまったものと考えられます。また、石畳の石材を抜き取って国道の基礎に使ってしまった、という言い伝えもあります。その他に願合寺地区では、東海道分間延絵図という江戸時代の絵図に描かれた石橋が発見されたほか、腰巻地区では、石畳の下から山中城の堀の跡も発見され、 岱崎出丸の堀を埋め立てて街道を造ったことが判明しました。
  遺物は、江戸~大正時代にかけての碗や皿、寛永通寳等の銭貨、鉄砲玉等が出土していますが、その量はごくわずかです。現在の道路にあまり物が落ちていないのと同様に、旧街道に物を落としたり捨てたりする人は少なかったのでしょう。  主な遺構と遺物
地区名 遺構 遺物
願合寺地区 旧街道石畳
一本杉石橋
村上石橋
近世~近代の陶磁器類
寛永通寳
腰巻地区 旧街道石畳
並木敷き
山中城障子堀
近世~近代の陶磁器類 寛永通寳
浅間平地区 旧街道石畳
並木敷き
近世~近代の陶磁器類 鉄砲玉
上長坂地区 旧街道石畳
並木敷き
近世~近代の陶磁器類
笹原地区 旧街道石畳
並木敷き
近世~近代の陶磁器類

 (2) 旧街道石畳の構造
  発掘された旧街道には、一辺が30~70㎝ ・ 厚さ20~30㎝程度の大型の石材を、道の両側に直線的に並ぶように配置して、その内側にやや小型の石材を隙間なく敷き並べた、幅二間 (約3.6m)の石畳が敷かれています。ここで使用される石材は、丸みを帯びた玉石や、人工的に平らな面を削り出した物などがありますが、最も多く利用しているのは、自然に板のように平らに割れる性質の安山岩です。 これらの石材がどこで調達されたのかまだわかっていませんが、大場川や来光川の源流部に当たる遺跡周辺の沢筋から運ばれてきたものと推定され ています。      また、石畳の石材は直接ローム層の上に据えられているものがほとんどで、特別な基礎構造は作られていませんでした。大型で重量のある石材をしっかり組み合わせることによって、十分な強度が得られていたのでしょう。しかし特に傾斜がきつい部分や、安定の悪い石材の下は粘土に小石を混ぜ合わせた基礎材を敷いている場合もあります。
  三島市では、こうした発掘調査の結果を踏まえて、平成6年度から箱根旧街道の整備事業を実施し、これまでに願合寺地区 ・ 腰巻地区 ・ 浅間平地区 ・ 上長坂地区 ・ 笹原地区の石畳を整備しました。
みなさんも、是非歩いてみて下さい。

箱根旧街道リーフレット(pdf版)