大正~昭和戦前(1912年~1945年)

大正7年(1918)に丹那トンネルの掘削工事が始まります。これは難工事で何人もの死者を出し、16年後の昭和9年(1934)に開業しました。同時に、現在の場所に新しい三島駅が開業しています。
 昭和5年、丹那盆地あたりを震源とする大地震が起こりました(北伊豆震災)。三島市域では半数の家屋が全半壊、死者25人という大きな被害がありました。その後の復興では学校などの移転・建替えや市街地の道路の拡張などが行われ、昭和9年の新しい三島駅開業と合わせて、町の姿が今日の状況と近いものとなりました。

(1)北伊豆震災と復興

12大正昭和 北伊豆震災 久保町 三島の歴史用 12大正昭和 北伊豆震災 大場 三島の歴史用
12大正昭和 北伊豆震災復興 久保町 三島の歴史用 12大正昭和 北伊豆震災復興 市ヶ原 三島の歴史用
上:大震災の実況(絵はがき)、 下:三島町震災復興記念写真帳

 震災後、中心市街地には看板建築とよばれる、前面をモルタルや板金で装飾した商店が立ち並びました。看板建築は関東大震災からの復興時に耐火性や洋風デザイン志向により盛んに建てられるようになった建築物です。
 市街地の東海道の道幅も現在とほぼ同じに拡幅されました。江戸時代と変わらない6~7m幅の道が一気に15mに拡がり、現在と同じ道幅になりました。

(2)丹那トンネルの開通と新しい三島駅の開業

12大正昭和 新三島駅 祝典 三島の歴史用 12大正昭和 新三島駅 祝典 門 三島の歴史用 12大正昭和 新三島駅 祝典 夜間 三島の歴史用
新しい三島駅の開業と祝典

 震災からの復興が一段落した昭和9年12月、丹那トンネルが開通し、三島の住民待望の新しい三島駅、現在の三島駅が開業しました。開業当日には駅前の広場に「祝開通」のアーチが作られ、夜間にはネオンで輝きました。式典は屋台やしゃぎり、農兵の装束で踊る人などで大変賑わいました。新しい三島駅の開業に伴い、駿豆鉄道(現伊豆箱根鉄道)も現在の路線に変更されました。


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