歴史の小箱
(第368号)地域の歴史 大場区の十王堂(平成31年1月1日号)
今回は大場駅の西にある「十王堂」について紹介します。
大場駅から西へ歩いて数分の所に浄土宗の寺、名号山光明寺があります。
戦国時代の天文年間(1532~55)に創建された古刹で、寺域には多くの石造物が点在し、古い信仰を伝えています。
山門を入って右手に「十王堂」が佇んでいますが、これは大場区が管理している建物です。
十王堂は閻魔王始め十人の王が祀られたお堂です。
実は明治の始めまで、現在の大場駅周辺には、いくつかの寺院やお堂と修験の家がありましたが、神仏分離・廃仏毀釈の影響を受けて、取りつぶされています。
駅の西南の場所にあった十王堂も光明寺境内へ移され、多くの石造物もまた廃寺となるにあたり、いくつかの寺院・神社へ移されました。
この経緯は『大場誌』(平成12年)に詳しく紹介されています。
十王堂の内部は板敷で、奥の壇上に地蔵菩薩像(木造)を中心として石造の十王十体や脱衣婆(だつえば)などが祀られています。
「十王」はあまり聞かない名前ですが、道教や仏教の信仰の一つです。
「十王信仰」は日本では平安時代末頃はじまり、中世以降、全国で信仰されていました。
亡くなった人が冥土に行き、そこで生前の罪を裁くのが閻魔王など十王です。
初七日から七日ごと四十九日まで、百か日、一周忌、三周忌にはそれぞれ十王の裁きを受けるという信仰です。
六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)に行くのか、あるいは往生できるのかがこの裁きで決まるのです。
生前に十王を信仰すると罪が軽くなると信じられていました。
一緒に地蔵菩薩が祀られるのはなぜでしょうか。
地獄の苦しみを救うのが地蔵菩薩といわれます。
また閻魔王は地蔵菩薩の化身とされていて、閻魔王=地蔵菩薩に地獄からの救いを願うようになったようです。
この十王堂では長く大場の住民による念仏講が行われていました。
念仏講自体は大場だけでなく、函南町と中郷地域、錦田地域の二十五の集落に講集団があり、それぞれ毎月念仏講を行っていました。
これら周辺各地の講が連携して「北伊豆大念仏講」を組織し、毎月各集落の持ち回りで大念仏講を催していましたが、参加者が高齢化し減少したため、昭和の終わりころで終了しています。
十王堂で催していた毎月の念仏講も数年前に終わりました。
▲大場十王堂(光明寺域内)
▲地蔵菩薩と閻魔王
【広報みしま 平成31年1月1日号掲載記事】
歴史の小箱(2018年度)
- (第370号)秋山富南の『豆州志稿』編纂事業(平成31年3月1日号)
- (第369号)地域の歴史 玉沢(平成31年2月1日号)
- (第368号)地域の歴史 大場区の十王堂(平成31年1月1日号)
- (第367号)近代三島をつくった人々(将軍家茂の上洛)(平成30年12月1日号)
- (第366号)地域の歴史 大場と大場駅(平成30年11月1日号)
- (第365号)近代三島をつくった人々(文化編)(平成30年10月1日号)
- (第364号)地域の歴史 中地区(平成30年9月1日号)
- (第363号)近代三島を作った人々(平成30年8月1日号)
- (第362号)ふるさと探訪 錦田地域 塚原新田(平成30年7月1日号)
- (第361号)何が変わった?明治の三島(平成30年6月1日号)
- (第360号)明治維新で活躍した小松宮彰仁親王の書(平成30年5月1日号)
- (第359号)駿豆電気鉄道による鉄道延長計画(平成30年4月1日号)