古墳時代(3世紀半ば~7世紀初め)
3世紀後半から日本列島各地で巨大な墓が造られました。日本は前方後円墳をつくるヤマトの王を中心に政治的にまとまり始めます。支配の広がりに伴い各地の豪族も前方後円墳をつくるようになりました。
市内で最も古い向山16号墳は古墳時代前期の前方後円墳で有力な首長の墓、古墳時代中期・後期の向山1~15号墳は1基の前方後円墳以外は円墳で地方の小首長の墓と考えられています。また、古墳時代後期の夏梅木古墳群は有力な農民層の墓と考えられています。
(1)向山16号墳
古墳時代前期(3世紀半ば)
竪穴式石槨(せきかく)をもつ前方後円墳で全長は68m、全長272mの箸墓(はしはか)古墳(奈良県)の4分の1の大きさがあります。詳細な調査が行われていませんが、槨(棺の入れ物・棺を納める場所)が石を積み上げてつくられており、槨がないものや粘土槨のものに比べて地位の高い者が葬られたと推測されます。
(2)向山1号墳出土遺物(武器類)
古墳時代中期(5世紀半ば)
向山1号墳には石槨などはなく、被葬者の木棺が直接葬られていたようです(木棺直葬、もっかんじきそう)。棺の上下と中央の3ヶ所に武器類の副葬品がありました。鉄製の剣2点、短剣3点(うち2点は槍の可能性大)、大刀1点、鉾(ほこ)の先1点、偏平な鏃(やじり)6点、鋭角な鏃28点が見つかっています。
(3)土師器(はじき)
古墳時代中~後期 金沢遺跡 左:8号住居址 右:9号住居跡
甕(かめ)は煮炊き用、高坏(たかつき)・坏は盛り付け用として使われました。また、カマドに小型甕を掛け、さらに甑(こしき)を乗せ、コメを蒸して食べていたようです。古墳時代、大陸からカマドの技術が伝わり、普及しました。高温が得られ火力の調整もしやすいカマドの普及は「古墳時代の台所革命」といわれています。
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