南北朝・室町時代(14世紀前半~15世紀後半)
南北朝・室町時代には東アジアとの交流も盛んになり、北山・東山文化として花開きます。しかし応仁の乱が勃発し、次第に戦国の様相を呈してきます。
この頃三島で独自に発行されていた暦、三嶋暦(みしまごよみ)は美しい木版刷りの暦として東日本各地に広まっていました。また、「古今(こきん)和歌集」の解釈を師から弟子へ秘説として伝える古今伝授が文明3年(1471)に三島でおこなわれました。このように交通の要衝であった三島では重要な文化交流や情報発信がおこなわれました。
(1)三嶋暦
永享9年(1437)暦 足利学校蔵 禁転載
現在確認されている最古の三嶋暦です。足利学校に所蔵されている『周易』という中国の古典の古写本に、表紙の裏張りとして三嶋暦が使用されていました。合計8枚残る三嶋暦のうち、暦首(暦の最初のページ)に「永享9年」の年号と「三嶋」の文字が確認できます。
暦が中国から伝わった当初は漢文で書かれた暦が朝廷で作られていました。それが次第に地方でも作られるようになり、また、かな文字で書かれるようになっていきました。三嶋暦はかな文字で書かれ、木版で印刷された地方暦としてはもっとも古いもののひとつといわれており、鎌倉時代ころから作られていたと考えられています。
(2)古今伝授
古今和歌集両度聞書 江戸時代出版
文明3年(1471)、武将であり歌人でもある東常縁(とうのつねより)が連歌師宗祇(そうぎ)に『古今和歌集』を講釈し、歌の解釈についての秘説を相伝しました。いわゆる古今伝授で、宗祇が講釈の聞書を整理したのが「古今和歌集両度聞書」です。その内容は後世の注釈書に継承されていきました。
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