歴史の小箱
(第11号) 三島傘組合の「太子さん」 (昭和63年5月1日号)
「太子さん」-三島傘組合の職人さんたちは、そう呼んで、一幅の掛軸を大切にしてきました。
聖徳太子の姿を描いた掛図のことで、彼らの守り神でした。正月、五月、九月の年三回、傘組合の寄り合いを開き、太子さんを床の間に掛け、組合の決め事をしたり、飲食をしたものでした。
聖徳太子の掛図を守り神とする各種の職人の集まりは、「太子講」と称される、各地に見られる民俗です。その成立は、聖徳太子が寺院建立史上大きな存在であったところ
から、建築関係の職人の信仰対象とされたのが始まりであるといわれています。
三鳥傘組合の太子講は、明治20年5月、9名の組合員で組織されたものと思われます。市誌の記録には、昭和2年の傘屋数は31戸、職人87人、生産量は10万本とあります。三島傘産業の最盛期の頃でした。熟練の職人さんでも、せいぜい一日三本だったそうですから、年産10万本時代の活気がしのばれます。
仕上げの傘をずらりと並べて干しているさまは、当時の三島の風物詩とも言える風景だったと開きました。
三島の傘組合が解散して、一幅の太子さんの掛軸だけが残りました。この絵は、沼津の凧絵師「たこたつ」の作だと伝えられています。
(広報みしま 昭和63年5月1日号掲載記事)
歴史の小箱(1988年度)
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