歴史の小箱
(第206号) 近代教育の歴史 ~教育勅語~ (平成17年7月1日号)
―朕(ちん)惟(おも)フニ 我ガ皇祖皇宗(こうそこうそう)国ヲ
肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ徳ヲ樹(た)ツルコト深厚ナリ (以下続く)―
この文は明治23(1890)年に発布された「教育ニ関スル勅語」つまり「教育勅語(きょういくちょくご)」の冒頭です。「勅語」とは<天皇が直接国民に発する言葉>という意で、道徳の根本、教育の基本理念を教えさと諭すという目的のもと、戦前、全国の学校に配布され、学校儀式などで奉読(ほうどく)されました。以後終戦までの間、教育勅語は国民道徳の規範として作用してきましたが、昭和23(1984)年に国会で失効確認が決議され、教育勅語の公的な効力は消滅しました。
こうした中で近代教育の歴史を振り返ってみると、教育が広く一般庶民までに及ぶようになったのは、明治5(1872)年の学制公布によって各地域に学校が設立されてからだといわれています。それ以前は寺子屋や漢学塾といった、いわゆる私塾が多数存在し、そこで教育を受けていました。
三島には三嶋大社をはじめ、寺院なども多数存在し、これらの寺社が学校の役割を果たしていましたが、学制公布と同時に三島学校(後に三島黌(みしまこう)。現在の南小と東小)が誕生しました。三島学校は伊豆地方で最も早い学校でした。
明治19(1886)年に小学校令が制定され、尋常小学校の教科として修身、読書、作文、習字、算術、体操が基本的なものとして定められました。
昭和16(1941)年には、国民学校令が制定され、それまでの尋常小学校、高等小学校、尋常高等小学校は国民学校と改称されました。国民科(修身、国語、国史、地理)、理数科(算数、理科)、体錬科(体操、武道)、芸能科(音楽、習字、図画、工作、裁縫、家事)、実業科 (農業、工業、商業、水産)、外国語他の科目が定められ、今日の教科科目の原型となっています。
戦後は昭和22(1947)年に教育基本法、学校教育法が公布され、学習指導要領も発表されました。また、平成14(2002)年からは完全学校週休五日制が実施され、今日では二学期制も全国で導入されつつあります。
(広報みしま 平成17年7月1日号掲載記事)
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