歴史の小箱
(第212号) 江戸時代の文学(4) ~滝の本連水 歌集『雲霧集』~ (平成18年1月1日号)
「富士山」は、いつの時代にも人々の心を惹きつける不思議な魅力を持っています。
江戸時代の俳人松尾芭蕉は、生涯のうち、何度か東海道を往来し、箱根を越えたところで、いくつかの富士の句を残しています。
貞享元(1684)年8月、江戸を発ち、『野ざらし紀行』の旅で箱根を越えました。
「関こゆる日は雨降りて
山みな雲にかくれたり
霧時雨不二を見ぬ日ぞおもしろき」
皆が憧れ、一目富士の山を見たいと思うのに反して、芭蕉は見ないのも一興と詠んでいます。
元禄2(1689)年の『おくのほそ道』の旅を経て、元禄7(1694)年には、
「箱根の関を越えて
目にかかる時やこと更五月富士」
と詠んでいます。
さて勝俣文庫には明治26(1894)年に京都湖雲堂より出版された連水家集『雲霧集(くもぎりしゅう)』があります。『雲霧集』は、連水が富士山をテーマに詠んだ百句をまとめたものです。連水の友人で京都に住む犁春(りしゅん)が、
「標題を雲霧集と号らるるからは祖翁の風嘆「雲霧の暫時百景を尽くしけり」といへる
滑稽の言葉より出たるなるべし」
と序文で述べているように、芭蕉の「雲霧の暫時百景を尽くしけり」という句を意識したものでした。
連水なりに富士山の百景を詠むことをいわばライフワークとし、家集として成し遂げたかったということでしょう。
芭蕉の富士の句を慕い、生涯をかけて詠んだ富士の句を家集として出版する、これもまた、連水らしい芭蕉顕彰の方法だったのではないでしょうか。折りしも、連水家集『雲霧集』が出版された明治26年は芭蕉二百回忌でもあったのです。
最後に、今、こうして勝俣文庫の調査の中で、江戸時代から明治に至る三島の文化のいったん一端をかいま垣間見ることができるのも、ひとえに故勝俣巌氏が、これら資料を郷土資料館に寄贈され、後世に伝えられることを願ったからに他なりません。勝俣氏に深く敬意を表します。
(元静岡大学非常勤講師 森澤多美子)
(広報みしま 平成18年1月1日号掲載記事)
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