歴史の小箱
(第248号)伝統的な遊び 投扇興と小倉百人一首かるた (平成21年1月1日号)
今回は伝統的な遊び、投扇興と小倉百人一首かるたを紹介します。
〈投扇興〉
投扇興は江戸時代に隆盛した遊戯で、「枕」という高さ二〇センチメートルほどの台の上に、「蝶」と呼ばれるイチョウの葉形の的を立て、一メートルほど離れた所に座り、開いた扇を投げてこれを落とし、扇と的の落ちた形を「百人一首」や「源氏物語五十四帖」になぞらえた図式に照らして採点し、優劣を競う遊戯です。昨年のNHK大河ドラマ「篤姫」の中で第十三代将軍徳川 家定が扇を投げてた場面を思い出す人もいるのではないでしょうか。
投扇興(特種製紙(株)所蔵)
この投扇興のもとになったといわれるのが中国から伝わった 投壺という遊戯です。太鼓の胴の形をした壺へ矢を投げ入れ、勝負を競う遊びです。中国周代(紀元前一〇四六ころ~紀元前二五六)に宴会の興として始まり、奈良時代に日本に伝わりました。そして江戸時代の天明・てんめい寛政(一七八一~一八〇一)のころ流行しました。
投扇興も江戸時代の安永二(一七七三)年ころから、庶民の間でもかなり流行したようですが、明治以降は衰退してしまいました。しかし、現在では楽しむ人も増え始め、全国各地の様々な団体で大会等が行われているようです。
〈小倉百人一首かるた〉
正月遊びや競技としての小倉百人一首かるたは、もともと平安時代の歌人・藤原定家が宇都宮頼綱の求めに応じて、百人の歌人からそれぞれ一首ずつ計百首の和歌を選んだものが基になっています。
また、小倉とは、小倉山(京都市)のことをいい、藤原定家の山荘があり、その障子に和歌を書きつけた色紙がはられていたと伝えられているので、これを小倉山荘色紙和歌ともいいます。
百人一首が現在のようにかるたと結びつくのは、天正時代(一五七三~一五九三)にポルトガルからカルタが伝わったことに端を発し、それが江戸時代に公家の間で広がり、百人一首の上句と下句を読み札と取り札に分けて、百枚の札を取り合うという現在の原型が出来上がりました。さらにこれが競技かるたへと発展しますが、戦
争により一時中断し、戦後再び盛んになり、現在は毎年一月に名人戦とクイーン戦が行われています。
今年秋に静岡県で国民文化祭が開催され、三島市では邦楽とかるた競技が実施されます。これに合わせ当館でも百人一首にちなんだ展示を計画しており、皆さんにもご覧いただきたいと思います。
【平成21年 広報みしま 1月1日号 掲載記事】
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