歴史の小箱
(第159号) ~沢地の水源の一つ~ 「横井戸を掘る道具」 (平成13年8月1日号)
沢地【さわじ】は三島駅から東北へ箱根山麓を2kmほど入った沢地川沿いの古い集落です。
江戸時代まで沢地は箱根権現【ごんけん】(箱根神社)の所領でした。元々、箱根山麓一帯は箱根権現の支配地でしたが、徳川家康が関東を支配する時、箱根権現領を全て差し出させました。この時神主があわてて所領関係の文書を持ち出したため、沢地の文書だけ取り落としてしまったといわれ、沢地が箱根権現領として残った逸話【いつわ】として伝えられています。江戸時代は沢地から箱根権現へ毎年米180俵の年貢が納められ、小荷駄【こにだ】で集落奥の道を登りました。
沢地のほぼ中央に箱根から勧請【かんじょう】された駒形【こまがた】神社が祀られ、親しみを込めて「駒形さん」と呼ばれています。
古老の話では「駒形さん」は馬の神様で、毎夜沢地の一軒一軒を見回り集落の安全を守っていると言います。「駒形さん」は立て井戸(掘りぬき井戸)があると落ちてしまうので、昔から沢地では横井戸を掘るか、川に堰【せき】をつくり堰から用水路で水を引いていました。
写真の道具はこの横井戸を掘る道具です。これは江戸時代末から明治にかけて沢地で横井戸を掘るために使われたものです。50cmほどの鍛冶屋で打った丈夫なラセン状の鉄の刃に1m50cmほどの木の柄がつきます。
この柄に金輪で太い竹を何本もつなぎ、数人の男衆が「エンヤラドット、エンヤラドット」と掛け声をかけながら水脈に向かって水平に掘ったものです。その長さ数10mになりました。
古屋勲氏宅の裏山に残る横井戸は数百年前に掘られたと伝えられ、地震などで他の家の井戸が使えなくなった時でも枯れることなく清水が流れ出ていたと言われます。
この尾根の下は縄文時代の千枚原遺跡に続き、その近くには水のしみ出る所もあったといいます。
古代より、生きていく上で欠かせない水源を近くに求めることができた住みよい土地だったのです。
「横井戸を掘る道具」は、企画展「水といきる水にあそぶ」(平成13年9月2日まで)で展示していました。
(広報みしま 平成13年8月1日号掲載記事)
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