歴史の小箱
(第158号) ~三島っ子の天然プール~ 「水上【みずかみ】の夏」 (平成13年7月1日号)
戦争が終わって、世の中が穏やかになった今から50年ほど前の夏の水上【みずかみ】の一日。
この頃食料が不足の中でひもじい思いをしていても、三島の子供たちは元気でした。
水上(白滝【しらたき】公園あたりから三嶋大社西側にかけて桜川周辺)は三島っ子の泳ぐところで、菰池【こもいけ】や水泉園【すいせんえん】(現在の白滝公園、当時は緒明家の私有地)から大量に湧き出た清冽な水は桜川を満たし、天然のプールとなっていたものです。
男の子は六尺ふんどし一ちょうで水に飛び込み、流れに乗って、次々と橋の下をくぐり抜け速さや距離を競ったのもでした。およそ15度という水温のため5分も泳ぐと体が冷え切ってしまうので石橋の上に寝そべってこうら甲羅干し、のんびり1日過ごしたものです。
桜川沿いの石垣はケガニ(モクズガニ)やウナギが多く住み着き、それを捕まえ食べるのが周辺住民の楽しみでもありました。もっとも、ウナギは「明神様(三嶋大社のこと)のお使い」と信じられていて、明治元年(1868)に官軍がウナギを食べるまで三島の人々は決してウナギを口にしなかったといわれます。
また桜川沿いの家々では川から庭先へ水を引きこみ、洗い場としていました。絶えることのない清らかな水で洗濯物や茶碗を洗うほか、スイカを冷やしたり、「フネ」と呼ばれるブリキの箱に魚やご飯を入れて水に浮かべて冷やし、天然の冷蔵庫としていました。
初夏の桜川では三島梅花藻【ばいかも】の白い花が浮かび、夜は蛍が乱舞していました。
「(川に)ションベンひると川の神様が怒ってチンボが曲がる。」と水を汚すことを慎み、水泳の前には茶碗のかけらを拾って大事にしていた三島の湧水は、昭和30年代に急激に水量を減らしていきます。
写真は戦後まもない頃の水上で遊ぶ子供たち。須田俊男氏撮影、杉山政平氏提供。
郷土資料館では企画展「水にいきる、水とあそぶ」の展示で湧水を利用した生活や遊びを紹介していました。(平成13年6月8日~9月2日まで)
(広報みしま 平成13年7月1日号掲載記事)
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