歴史の小箱
(第155号) ~三島宿の賑わいを伝える~ 「三島宿風俗絵屏風」 (平成13年4月1日号)
三島の中心部、広小路から三嶋大社にかけての旧東海道の通りは現在商店街となっています。ここが百二十年前までは旅館で占められていたことが想像できるでしょうか。
江戸時代、三島宿には、75軒の旅籠【はたご】が並んでいました。その頃の様子を描いたものが「三島宿風俗絵屏風」(六曲二雙)です。
これは今から約百六十年前の天保期に、三島宿の旧家山口家(本町)に逗留【とうりゅう】した絵師小沼満英によって描かれた大作です。宿代の替わりに置いていったと伝えられ、今は三島信用金庫の所蔵品です。
右雙は箱根山から川原ヶ谷、新町橋にかけての東海道筋や農村風景が広がります。写真の左雙は千貫樋【せんがんどい】から大場川までの三島宿を取りあげています。
この屏風を見ると、「おかしいな」と思われるかもしれません。当時の絵は省略と強調が特徴で、家数は大幅に省略され、主な建物のみ描かれているのです。実際にはこの頃、東海道筋には400軒以上の建物がびっしり建ち並んでいました。
三嶋大社には、三重の塔や仁王門・護摩堂が描かれ仏教色が強く出ています。江戸時代は神仏混交、神社を仏達が守護すると考えられていたのです。本殿などの建物は丹【に】塗り柱、白壁、檜皮【ひわだ】葺 【ぶ】きの屋根です。これらは安政の大地震で倒壊し、明治2年に再建されました。
画面左上の小浜池(現、楽寿園)周辺には七面観音堂などの小堂が描かれています。明治23年に小松宮殿下の別邸となった時に、撤去されてしまったものです。
東海道の中央には宿の中心、問屋場【といやば】(現、市役所中央町別館)があり、荷物の積み替えや、人足・馬の手配に宿役人達が忙しく働いています。その左手に道を挟【はさ】んで世古本陣と樋口本陣が建ち、案内を請う武士や掃除にいそしむ女中がいます。
左下には時の鐘、さらに左には西見付の土手が築かれ、千貫樋【せんがんどい】で宿は終わります。また、小浜池や桜川、源兵衛川の水量の多さに驚くことでしょう。
(広報みしま 平成13年4月1日号掲載記事)
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