歴史の小箱
(第114号) ~昔の旅の案内地図~ 東海道分間【ぶんげん】絵図 (平成8年12月1日号)
江戸時代の庶民の旅は、個人や村の信仰にもとづいて各地の神社を巡る、いわゆるモノ参りが主な目的でしたから、仕事や物見遊山が目的の現代の旅行とは少し異なった旅だったと言えるでしょう。
しかし、昔の旅だからと言って、名所旧跡巡りが全くなかったわけではありません。物見高い庶民のことでしたから、神社参詣の旅の途中には名所をあちらこちらへと立ち寄り、見聞を広げ、噂に聞いていた土産を食べたり、買ったり、しっかりと物見遊山の旅をやっていました。『東海道中膝栗毛』に登場する弥次さん、喜多さんの道中も、そうした庶民の旅でした。
『東海道分間地図 全』一帖(写真)は、弥次さん、喜多さんのような庶民たちの東海道の旅で大いに利用された旅の案内地図です。現代風に言えばトラベルガイドマップということになりましょうか。
この地図の初版は、「桑楊」という人の編集により宝暦2年(1752)に出版されましたが、その後も版を重ねており、本図は天明年間(1781~88)に改訂再版されたものです。
さて、次に、地図の余白に記された各地の名所案内に従って、箱根から下って三島に至るまでの道中を一緒に歩いてみましょう。
「山中 北条之時此所に城を築き北条左衛門と間宮豊前之守と守りし所也、左の方に堀など残りあり、大手口の跡といふも有り」
山中新田では、山中城の戦の名残の堀などを眺め、歴史を思い起こしながら通過したものでしょう。
さらに下って、富士見平と上長坂では「ふじみ平富士(富士山)正面也」「上長坂より伊豆するがの田畠見ゆる」とあり、坂の上からの景観を記しています。三島宿の記述は次のようです。「三嶋明神ハ大山神の神を祭りしもの也・(中略)・社領五百三十石」とあり、この時代も三島の名所の中心が現在の三嶋大社だったことがうかがえます。
(広報みしま 平成8年12月1日号掲載記事)
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