歴史の小箱
(第109号) ~竹製の運搬具~ パイスケ (平成9年5月1日号)
パイスケは竹を編んで作った浅い鉢形の入れ物で、小砂利など載せ、一対をカツギボウで肩に担いで運搬する道具です。むかし懐かしい響きを持つ名称ですが、運搬具の材質や機械化に因る改良進歩等によって、現在ではほとんど見られなくなってしまいました。
一昔前までは、竹やワラ、木材などの身近な材質で作られた人力運搬具は、一軒の家には無くてはならない道具として、ひととおり備えられていたものです。
米作りの農家には竹の目が大きいナエカゴ(苗籠)。ちょっとした畑仕事には、おばあさんが背にして出かけるボーラ(あるいはショイカゴ・背負い籠)。堆肥などの肥料を運ぶワラ製ノカツギダワラ(担ぎ俵)。木製の運搬具にはカツギオケ(担ぎ桶)。このように、その用途によって、材質や形が工夫されて作られ、使用されていました。
三島市の隣の裾野市では、近年まで、箱根のススダケ(竹)を使ったパイスケ作りが盛んに行われていました。パイスケは注文に応じて一番から三番まで大きさの異なるものが作られました。割って平たいヒゴにした竹で本体部分を編むのは女衆、仕上げのフチマキ(縁巻き)は男衆というように作業が分担されて生産されました。今でも裾野にはパイスケ屋というイエナ(屋号)が残っています。裾野で作られた多くのパイスケは主に東京方面に出荷され、下町の工場の燃料となるコークスや石炭の運搬に使われたと聞きます。また、地元では、明治時代の東海道線(現・御殿場線)の工事で砂利運搬に使われたという伝承が残っています。
さて、パイスケという不思議な響きの名称ですが、その語源は英語のバスケットだと言われます。日本人が肩に担いで運搬するのを見た外国人が「バスケット」と発音するのを聞いて、いつしかパイスケに転訛【てんか】したものだというのです。
(広報みしま 平成9年5月1日号掲載記事)
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