歴史の小箱
(第37号) 農機具として重宝された 唐箕 (平成2年7月1日号)
すでに役目を終わった一台の唐箕。機種名を「片岡式改良唐箕」。
郷土館に展示しています。手回し扇風機の回転軸部分を除いてすべて木製。使い込んだ漏斗部分には、次のように墨の書き込みがありました。
「伊豆国田方郡、錦田村、川原ヶ谷村、杉山助三郎、昭和十三年五月新調」。
唐箕は風力を利用して、穀物の精粒とくず粗と藁くずの塵とを選び分ける農機具です。この原形の道具は箕。これは手や腰を上手に使って穀物などの選別をする人力農具でした。
唐箕の日本への伝来は、思いのほか古く、江戸時代中期のころとされています。中国から伝えられた箕という意味で、唐箕と称されたと言われていますが、昔は機械化されて便利になった道具には何にでも唐(トウやカラ)の字を付けたもののようです。かつては、それほどに中国の文化や技術が進んでいたからでしょう。 さて、日本へ伝来した唐箕は、わが国の農葉に適したように改良が加えられ、ごく最近まで稲作農家の機械化された唯一の農機具として、重宝がられてきました。
秋、刈り取られ乾燥きせた稲は脱穀機にかけられます。脱穀機は稲束を一束ずつを手に持ってこく、千歯こきが古く、後には足踏み脱穀機となりました。ところが、この脱穀では、籾にたくきんの藁くずや籾のヒゲなどが混じって出てきます。そこで唐箕の登場です。
唐箕の機構は簡単です。穀物を流し込む漏斗部、板の羽を回転させて風を起こす送風部、選別用の胴部に分かれ、三つの選別ロからは、重い粒が第一の口に落ち、やや軽いくずは第二の口に落ち、藁くずなどの軽い塵は第三の口から外へ吹き飛ばされます。作業は一人が送風機を回し、他の一人が籾を流し込む役を担いました。
脱穀が終わって、稲作農家の長く苦しかった一年に一区切りが付きました。農家ではコキアゲを祝い、ごちそうを作ったものだといいます。
唐箕が、昔の農家の暮らしを物語ってくれます。
(広報みしま 平成2年7月1日号掲載記事)
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