(第39号) 人々の精神が映し出された 縄文土器 (平成2年9月1日号)

 今年の夏もまた、市内の小学生を集めて縄文土器作りを行いました。土を練ること、形を作ること、野焼きをすること。子供たちはそれぞれの作業に、自分が古代人になったつもりで、真剣に、思いを込めて取り組みました。おかげで、ほんとうの縄文土器にも負けない、生き生きとした作品が完成しました。
 縄文土器の魅力は、力強く、自由奔放な形です。これを作った縄文人とは、一体どの様な暮らしぶりや考え方をしていた人々でしょう。千枚原出土の深鉢型縄文土器(写真)を眺めながら、彼らが土器作りにかけた情熱に思いを巡らせてみたいと思います。
 縄文時代の生活は狩猟と採集が中心でした。野山で採れる木の芽や実あるいはシカやイノシシなどの動物、河・沼・湖・海などで取れる魚介類が食糧とされました。最初の土器はこうした産物や獲物を安全に口にするための煮炊き用でした。漏斗状に開いた口と閉じた底を結んだ単純なプロポーションの深鉢形態が、縄文時代の草創期・早期(妃元前1万年~4千年)と長期間にわたる土器の基本型となりました。
 日本で初めて学術的に縄文時代遺跡(大森貝塚)を発堀したアメリカ人エドワード・S・モースが貝塚を発見したのは明治10年(1877)6月のこと。
 その後、全国各地で貝塚の発見と発堀が相次ぎ、縄文時代の謎が盛んに議論されました。その一つに貝塚に埋葬されていた人骨の発見がありました。貝塚は単なるゴミ捨場ではなく、すべての生命を終わったものの置き場として築かれたものと考えられ、縄文人がすでに人間の生命を神聖視していたことが明らかになりました。
 縄文土器は時代ごとに縄文人の生活や精神を反映させ、形や文様を変え発展しました。縄文時代中期から後期(紀元前3千年~1千年)にかけての具体的な用途不明の異形、奇形の土器は、複雑になった社会や人々の精神が映し出されたものと言えます。
(広報みしま 平成2年9月1日号掲載記事)