歴史の小箱
(第44号) 江戸時代の庶民の旅を記録した 『道中日記』 (平成3年2月1日号)
「旅は道連れ、世は情」といわれるますが、江戸時代の庶民の旅は、ほんとうに味わい深いものだったようです。
郷土館三階の「宿場と東海道の旅」コーナーには、勝俣花岳(伊豆佐野の俳譜人滝の本連水の父親) が経験した旅の記録の「道中日記」を展示しています。
この旅は茶畑(裾野市)の柏木甚太郎を講親とした伊勢講連で企画し、同行者四十七人という団体で出掛けたもので、花岳はその一員での参加でした。講員の中には伊勢参りを済ませただけで帰国の途についた者や大和絡まで足を延ばして帰国した者など、旅行団は旅の途中で三つのグループに分かれましたが、花岳はその後も姫路・大阪・京を回るメンバーに加わり全旅程五十六日間という長旅を果たしています。旅日記には、見物した事物・宿泊した宿・使った費用などを最大もらさず記しているほか、俳語人らしく、俳句や和歌を詠んで旅の印象や感想を述べています。
出立は嘉永六年(一八五三)丑正月七日、集合場所の沼津宿の橋本屋からでした。浮島が原に差し掛かった所で、花岳は浮き立つ心を「春の日に打揃ふたるもの参り、心はここに浮島が原」と一句。旅の一行は、東海道を久能山・秋葉山・豊川稲荷津島天王社などに参詣しながら、十九日七ツ時(午後四時)に伊勢神宮御師の橋村太夫のところに無事到着。 伊勢では、祈祷を受けたり太々神楽を見学したりで、二十三日まで滞在。次の奈良では春日大明神を見学の後、花岳らは京・大阪方面への旅を更に続けます。姫路では大石内蔵助邸の桜を一見。その後、船で四国に渡り金比羅山にも参詣。京には三日間滞在して多くの神社仏閣を見学。帰途も、あちこちを見学をしながら二月二十六日に三島の大和屋に到着しました。
花岳がこの旅で使った費用は金に換算して約五両でした。旅行日数も旅費も、現在の忙しい人間にとっては、うらやましいような余裕のある旅だったと言えましょう。
(広報みしま 平成3年2月1日号掲載記事)
歴史の小箱(1990年度)
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