歴史の小箱
(第270号)『小浜池図』 (平成22年11月1日号)
今月は現在開催中(平成二十二年九月十八日から十二月五日)の収蔵品展「楽寿園」から『小浜池図』を紹介します。
現在の楽寿園は明治二十三年に小松宮家によって庭園として造営され、以来同家の別邸となりました。小松宮家には三島近隣の選ばれた女性たちがお仕えし上がっていたということで、本作品の元所蔵者もそうした女性の一人であったようです。その際に宮様から下賜されたのがこの絵画でした。
本作品には、冬の別邸周辺が描かれており、正面には冠雪の富士山、そして小浜池には鶴やアヒルが遊びます。
作者は跡見花蹊(一八四〇 ― 一九二六)と伝えられていますが、画風や印章などから詳らかではありません。ちなみに跡見花蹊は教育者として知られ、学校法人跡見学園の創始者でもあります。また画家や書家としても活躍しました。
花蹊と小松宮彰仁親王はたびたび親交があったようで、三島別邸での交流が『跡見花蹊日記』(跡見学園所蔵)「明治三十五年十月十日」の条に描かれています。
朝五時起て支度、新橋七時廿分の汽車、小松宮御息所殿下成らせられたり。程なく汽車に召され、お供する。久々の三島行き、すべて珍しく、此汽車中も種々御咄しのうちに、二時廿分御着。人車にて御別邸到着。宮殿下ハ五日前より成らせられ、御待請(受)遊ばされ、こたびの三ッは四ッはの大殿造り、好き(数寄)をこらさせ給ひたるを、余等に御案内遊ばされ、世の外なる思ひをなしぬ。此日ハ、御地所の元御養蚕所を高等女学校に御かしあたへられたる女学生の、園遊会を御催し遊ばされて、午下二時より、生徒、教員たち来りぬ。御庭にて御両所成せられて、拝謁を賜りたり。所々にかけ(掛)茶屋を設ヶて、御しる粉(汁粉)、そば、うとん、御饅などを下され、四時過る頃一同散したり。有がたき思し召しなり。
ここにある養蚕所とは、別邸内にあって明治三十四年の三島高等女学校(現・県立三島北高校)開校時にその一部を教室として貸与したものです。ちょうどこの日は別邸を開放して生徒・職員・関係者を招待し、妃殿下とともに園遊会を開催し、市内の商人に出店を要請しての振る舞いをなしたといわれています。
「小浜池図」(個人蔵)
【平成22年 広報みしま 11月1日号 掲載記事】
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