歴史の小箱
(第272号)『雲霧集』に見る富士山 (平成23年1月1日号)
現在開催中(平成二十二年十二月十九日から平成二十三年二月二十七日)の富士・沼津・三島三市博物館共同企画展「わがまちからの富士山~三市対抗富士自慢~」に併せ、俳人・滝の本連水の句集『雲霧集』を紹介します。
雲霧集
滝の本連水は、天保三年(一八三二)に代々伊豆佐野の名主を務める家に生まれました。本名は勝俣猶右衛門です。
連水は、家業に精を出すかたわら、俳句の修業を積みます。その後、地方俳譜の指導者として目覚めた連水は、自宅に「連柿堂」を開き、多くの門人を集めます。晩年には富士を詠んだ百句を集めた自句集『雲霧集』(明治二十五年)を刊行します。この集には富士を愛した連水の心が見事に表現されています。以下、『雲霧集』の中から幾つかを紹介します。
じりじりと麓は暮れてふじの山
『雲霧集』の冒頭を飾る句です。富士山麓の村々が次第に夕闇に包まれていく中で、冠雪を帯びた白き富士だけが遠景からほんのりと浮かび上がる、そんな様子を詠んだ句でしょうか。
不二の麓廻り尽さで老にけり
この句は勝俣家前の石碑に刻まれています。自身のライフワークとして霊峰富士の句作を続けてきた連水ですが、廻り廻ってその全容を詠み尽くせないうちに年老いてしまったと述べており、生涯掛かっても詠みきれない富士山のスケールの大きさと富士に対する特別な思いが表現されています。
返し来て親しむ雲や不二の山
俳画「富士山」(佐野小学校蔵)
佐野小学校の校歌の一節となっている句です。佐野地区から見える雄大な富士山と、その富士山の周りを行ったり来たりする雲の、ほのぼのとした情景が目に浮かんできます。
のぼらるるものと思へず 不尽の山
多くの芸術家が富士山を表現したように、連水も富士を賛美していました。「登らるるものと思へず」とは、もはや富士山そのものが「山」というより芸術作品ということでしょうか。
日毎日毎不二見て我は老いにけり
「述懐」という題を伴った句です。毎日毎日眼前の富士山を眺め、四季折々の千変万化を句にしてきた連水、まさに富士山に始まり富士山に終わる連水の人生そのものといえるでしょう。
【平成23年 広報みしま 1月1日号 掲載記事】
歴史の小箱(2010年度)
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