歴史の小箱
(第352号)イギリスに焦がれた洋画家 栗原忠二(平成29年9月1日号)
楽寿園内にある郷土資料館では、9月15日㈮から静岡県立美術館の収蔵品を紹介する移動美術展「富士山と静岡ゆかりの画家たち」を開催します。今回はそこで二つの作品が展示される三島出身の画家・栗原忠二について紹介します。
栗原忠二は明治十九年(一八八六年)、久保町(現中央町)に住んでいた栗原宇兵衛の二男として生まれました。韮山中学校(現県立韮山高等学校)を卒業後、法律家になるため中央大学に入学しますが、芸術への夢を捨てきれず、東京美術学校(東京藝術大学の前身)に入学しなおします。若き日の栗原がイギリス風景画の巨ウィリアム・ターナー(一七七五~一八五一年)に傾倒していたことはよく知られ、同時代の洋画家・曽宮一念は美術学校在学時の栗原について、「身装までターナーを真似て居ると噂されて居た」「私の同級生達は彼のことを「栗原ターナー」と呼んで居た」と書き残しており、在学中に描いた《月島の月》(郷土資料館所蔵)には彼のターナー趣味が実によく表れています。
栗原は卒業後、英国留学を果たしました。大正元年(一九一二年)十月に横浜港を出港し、一カ月半の船旅の後にロンドンの地を踏みます。彼は当時の心境を「五年の昔しよりして夢に見し、けふテムスの月を見んとは」という歌で表しており、憧れの地に降り立った感慨がいかほどのものだったのかが想像されます。
その後、彼はロンドン郊外にアトリエを構え、当時著名であった芸術家フランク・ブラングィン(一八六七~一九五六年)に師事し、欧州各地を旅しながら風景画を描いて日英両国で名声を得るようになりました。下は、ロンドンの中心に建つセント・ポール大聖堂を描いた《セントポール》という作品です。手前には、テムズ川の荷船の積み下ろしを行う荷役人たちの姿が描かれ、大聖堂の背景には青空と白雲が描かれています。港湾労働者を力強く描く筆致は師のブラングィンが得意としたところであり、栗原が師のもとで研鑽し、より豊かな表現方法を身につけたことがわかります。
栗原は大正期をほぼ英国で過ごし、昭和二年(一九二七年)に帰国しました。その後は東京の西荻窪に三島の工務店の設計で欧風のアトリエを建て、築地に洋画研究所を設立して、洋画・水彩画の普及と後進の育成につとめました。
▲栗原忠二肖像写真 個人蔵
▲栗原忠二 《セントポール》
1916年頃 静岡県立美術館所蔵
【広報みしま 平成29年9月1日号掲載記事】
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