歴史の小箱
(第357号)幻に終わった明治時代の工場設立計画(平成30年2月1日号)
今年は明治維新百五十年の記念の年にあたり、郷土資料館では幕末・明治をテーマにした企画展を準備しています。今回は、現在調査中のテーマを少しご紹介します。
プラスチックが開発される前、子どものおもちゃや文房具、小物など、あらゆる製品に使われたセルロイドという素材。明治時代に初めてセルロイド素材が輸入され、珊瑚やべっ甲などの代替品として重宝されました。当初、セルロイドはすべて輸入品でしたが、原料には日本でも採れる樟脳が使われていたため国内での製造も試みられましたが、大規模生産には至りませんでした。
明治27年(1894年)の日清戦争の結果、日本が領有した台湾でも多くの樟脳が採れたため、これらを使ってセルロイドの製造、輸出を目指す動きが各地で起こります。その一つが三島へのセルロイド製造工場誘致運動でした。
明治39年(1906年)春ごろ、東京の起業家や横浜の外国人貿易商がセルロイド工場の設立を目指していました。
▲セルロイド製の人形
三島は設置場所として名乗りを上げ、町長などを中心に、資本金出資の約束や協定を結び、あとは東京方面の出資者募集、技術者や機器の準備をすれば開業できるところまで見通しが立ちました。しかし明治39年夏、事態は一変します。事業の中心人物だった外国人貿易商が設立準備のため海外渡航したまま音信不通となったのです。
三島の有志たちは東京や横浜へ頻繁に出向き国内の関係者と協議し、国内関係者のみで会社設立を目指しますが、出資者を集められず、なかなか会社設立に至りません。原料となる台湾産樟脳の入手に不安があるとして財界の大物に協力を断られるなど、事業の見通しも立たない状況になりました。
誘致運動が始まってからほぼ一年後の明治40年(1907)3月、三島町の関係者はセルロイド工場の誘致を断念しまし
た。
翌年、財閥などが中心となって大規模なセルロイド工場が大阪、兵庫に設立されました。これ以降日本のセルロイド生産は順調に伸び、大正時代初めには輸出を行うまでに至りました。
もし三島にセルロイド工場が設立されていたら、三島は日本の一大セルロイド産地となっていたかもしれません。
▲会社設立を目指して作成された定款
これらの詳細ないきさつは、三月末刊行予定の『三島市郷土資料館研究報告十』に掲載予定です。郷土資料館では毎年、職員や関係者による調査・研究成果を冊子にまとめています。展示と併せてご覧ください。
【広報みしま 平成30年2月1日号掲載記事】
歴史の小箱(2017年度)
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