歴史の小箱
(第356号)石造物は語る-梅名・安久-(平成30年1月1日号)
江戸時代から往来のある古道の傍らに、ひっそり立つ石造物。これらはどのような経緯で立てられたのでしょうか。
馬頭観音、サイの神(道祖神)など今ではその存在も忘れられている石造物について、郷土資料館は平成二十八年度にボランティアの皆さんと調査を始めました。今年は毎月一回、梅名・安久地域を訪れています。
梅名では、源頼朝が水を湧き出させたと伝わる右内神社、戦国時代の砦・梅縄城跡(御蔵場跡)に、石造物が集中していました。ここは梅名の人々の信仰と村政の中心でした。神社前に置かれた力石はコメ俵を楽に担ぐ筋力が必要とされた農村青年たちによる力比べの名残です。また集落の入口には禍からムラを守ると信じられていたサイの神が佇んでいます。
梅名集落から北に離れた梅名バス停近くには、馬頭観音が数体立っている場所があります。もともとは周辺に散在していた馬頭観音が、県道清水函南停車場線の拡幅整備に伴い、立ち退きを迫られて、ここに集められたといわれます。昭和三十年(一九五五)代までは、水田耕作に欠かせなかった馬や牛が各農家に一~二匹、家族のように大切に飼われていました。死亡すると、馬頭観音の下に埋め弔ったものです。耕運機の普及により馬や牛は姿を消し、馬頭観音を参る人も少なくなりました。
▲馬頭観音(梅名)
安久の石造物は、王子神社と安富神社周辺に多く見られます。安久西村にあるサイの神の祭りは、子供たちが菊で飾られた祠の引き車を引き、「サーイのかみさん、まーらっしゃい」と声をあげて家々を回るものです。サイの神が子供たちを守ると信じられているのです。
安久には各集落に集落名を刻んだ黒い石柱が立っています。平成九年(一九九七)に江戸時代から続く古い地名を未来に残すため建立されました。
諏訪神社の横に残る石造物は鎌倉時代の武士、仁田忠常の妻の供養塔と伝わる歴史あるものです。もしくはこの辺りは大場川の渡し船が発着する津で、川の増水で多くの人が亡くなっていることから、その死者を弔う供養塔とも考えられます。
大場川に多くの橋が掛けられた今、船で渡る苦労は想像するのが難しいかもしれません。しかしこの三島でも、ほんの百年前までは年貢米や物資の輸送、人々の移動に船が貴重な交通手段として用いられていました。
石造物は私たちの知らない過去を語り、失われつつある地名などを未来に伝えるタイムカプセルなのです。
▲供養塔(安久)
【広報みしま 平成30年1月1日号掲載記事】
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