歴史の小箱
(第382号)多呂の淡島講~最後のお祈り~(令和2年3月1日号)
令和元年12月、多呂(たろ)で長年続いた女性たちの講「淡島講(あわしまこう)」が終了しました。郷土資料館ではその最後の講を取材し、かつての開催の様子などをお聞きしたので紹介します。
「講」とは、信仰や経済、職業上の目的を達成するために結ばれた集団のことです。その中でも「淡島講」は、「淡島さん」の名で親しまれる淡島明神(女性の姿の神様)を信仰の対象とするもので、地域の既婚女性のための講として、全国各地で行われています。
多呂の淡島講の現メンバーは8人で、年に2回、5月と10月の週末の夜に多呂公民館を会場として開催されてきました。講の開始前、その回の当番2名が中心となって、公民館和室の床の間に淡島さんの姿を描いた掛軸をかけ、供物を盛った御膳を据え、参加者用の机にお茶菓子を並べて全員が揃うのを待ちます。参加者は部屋に入室すると、まず淡島さんの前に敷かれた座布団に正座してお参りします。その後、机の周りに敷かれた座布団に着席し、お茶菓子を食べながら子育てや地域のことなど、様々な情報を交換する、という手順で実施されてきました。
多呂ではこの淡島講が、村成立時から家を構えていた16軒の家のお嫁さんたちによって、1世紀以上にわたり行われてきたといいます。そこでの淡島さんは、「子どもが授かりますように」、また「生まれた子が無
事に育ちますように」という祈りを聞き入れてくれる神様として、あつく信仰されてきました。しかし近年、後継者問題が浮上し、この先も後継者を得られる見通しがたたないために、講を終了するという決断がなされたそうです。
令和元年12月14日、現メンバーに加え、引退した旧メンバー9人が参加し、最後の淡島講が行われました。旧メンバーによれば、昔は年4回開催し、お茶菓子ではなくて食事(三色ご飯・味噌汁・漬物)を食べながら情報の交換をしていたそうです。そのため、当番になった人は、講の前日リヤカーを引いてメンバーの家を一軒一軒訪ね、米1合とご飯を盛るための丼ぶりを集めて回り、翌日の夕方までかけて人数分の料理づくりにいそしんだといいます。
最後となった今回の講の終わりには、全員が淡島さんの前に正座し、手を合わせて最後のお礼を伝えました。講終了後、淡島さんの掛軸と供物用の御膳は三嶋大社で清祓(きよめはらい)をうけ、神様不在の「道具」に戻された後に、郷土資料館へ寄贈されました。
こうして長きにわたり、多呂の女性たちを守ってきた「淡島さん」は、その役目を終えることとなりました。
最後の淡島講でのお祈り
【広報みしま 令和2年3月1日号掲載記事】
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