(第384号)石造物は語る―大場―(令和2年5月1日号)

 神社やお寺、道端にたたずむ石で造られたもの。それらはいったいどのような経緯で造られたものなのでしょうか。

 郷土資料館では平成28年度からボランティアの皆さんと石造物調査を始めました。今回は大場地区の石造物を見ていきたいと思います。  
 大場地区には他の調査済の地区(梅名・安久・中島・多呂・北沢)と比べても多い、105基もの石造物が確認できました。大場地区内では開田院や光明寺、大場神社など寺社に石造物が集中しています。地蔵や観音、狛犬、鳥居などもともと寺社にあるものはもちろんですが、庚申塔(こうしんとう)、馬頭観音、道祖神など地区内に散在していたものが集められた、という経緯をもつものも少なくないことがわかりました。  
 明治初め、大場では現在の大場駅周辺にいくつかあった寺院やお堂、修験道の家が取りつぶされ、祀られていた仏像などが光明寺や開田院に移されました。加えて、仏教に関わる民間信仰に関するものも排除されま した。道祖神や庚申塔、地蔵などが地中に埋められたり、首を落とされたりすることが行われています。しかし、それまでは大切に信仰されてきたものだけに現存する寺社に移転することも行われたので、今でも寺社の 境内でいろいろな石造物を見ることができます。

 こういった動きは、慶応四年(1868)3月、明治政府によって出された神仏分離令や修験道禁止令を契機に展開した廃仏毀釈運動の影響により起こったものです。明治初め、地蔵などの仏像が撤去もしくは破壊される事例が日本各地において見られます。

 大場神社に祀られている道祖神はこの運動によって被害を受けた一体かもしれません。元の頭部は失われてしまい、現在の顔は後の時代に作られたものです。以前は熱海街道と大場駅の道との分岐点、三つ角となって いるところに祀られていました。しかし、現在は風化が進んできたため、道祖神を新たに作って祀り、もともとあった道祖神が大場神社へ移されたそうです。  
 また、「秋葉山(あきはさん)」の名で親しまれ、庶民の火防の神として広く信仰を集めてきた秋葉大権現も神仏分離・廃仏毀釈運動の対象になりました。秋葉山信仰が神仏習合の信仰であったためです。大場の秋葉山は元々宮川にありましたが、祠は光明寺に、石灯籠は光明寺と大場神社にそれぞれ一基ずつ移され、今も祀 られています。

 石造物はかつての信仰や歴史を未来へ語り継いでくれています。

道祖神(大場)

大場神社の道祖神



【広報みしま 令和2年5月1日号掲載記事】