歴史の小箱
(第387号)三嶋大祭りの今昔(令和2年8月1日号)
今年の三嶋大祭りは新型コロナウイルスの感染予防と拡大防止のため中止が決定しました。なお、三嶋大社での神事は執り行う予定となっています。今月はこの「三嶋大祭り」について紹介します。
「一般には大社のお祭りとして親しまれている三嶋大社例大祭(れいたいさい)とつけ祭り(本祭に付けて行う祭り)は、毎年8月15~17日の3日間で執り行われます。祭りの催し物の中には、手筒花火や人長舞(じんちょうのまい)・浦安舞(うらやすのまい)といった三嶋大社に残る伝統的な芸能や、頼朝公旗挙げ行
列、流鏑馬(やぶさめ)祭などの数多くの催しが行われます。また、三嶋大祭りの大きな特徴である当番町持ち回りの「山車(だし)引き回し」と、その山車上で囃(はや)す「しゃぎり」、大鳥居玉垣前で行う「子どもしゃぎり」 は観客を魅了しており、市民参加の伝統芸能の披露として意義あるものとなっています。
三嶋大社では古くから、元は旧暦4月・8月・11月の酉(とり)の日に大祭が催行されてきましたが、明
治4年(1871)官幣大社に列するにあたって8月16日が例祭日と定められました。なお、4月・11月の大祭はそれぞれ16日に春・秋の酉祭(とりまつり)として今日も続いています。
現在も祭りを賑わす山車の引き回しが始まったのは、江戸時代前期のことです。三島宿中の祈祷のため、山車を引き出す許可をしたという寛文9年(1669)の証文が残されています。また、江戸時代後期にはそれまで各町それぞれに参加していたものを、現在のように当番町を決め、秩序立てて参加する取り決めをしています。
本格的にこの祭りが一般民衆の祭りへと変貌した契機は、昭和20年(1945)の終戦にあります。戦前までは「明神様の祭り」として主催は三嶋大社が執り行っていました。しかし、昭和21年、三嶋大社が宗教法人としての道を歩むこととなったことを契機に、祭りの主催・運営は市民の手にわたりました。
戦後占領政策により昭和20・21年は神道としての例大祭に市民が参加することは許可されず、翌22年から商工会議所が主軸となって「三島商工まつり」と銘打ち実施されたといいます。25年には主催が氏子 (うじこ)会に移り、当時の新聞では「三嶋大社夏まつり」と呼ばれています。その後、昭和30年になると氏子会では従来通りの開催が難しくなったということで、その年に限り「大祭り奉賛会」を立ち上げて催行し、翌年からは「大社大祭り協議会」が主催となります。そして平成10年から今日まで町内会連合会を主体とする「三島夏まつり実行委員会」が三島の夏祭りを主催しています。
平成29年、三島夏まつりが「三嶋大祭り」に改名しました。「歴史・文化・伝統」を重んじた祭りとして生まれ変わり、より市民総出の祭りの色を強めたのではないでしょうか。
三島新聞(昭和29年9月14日付)
【広報みしま 令和2年8月1日号掲載記事】
歴史の小箱(2020年度)
- (第394号)新規収蔵資料 津田家文書から酪農・練乳関係資料(令和3年3月1日号)
- (第393号)地域の歴史 谷田(令和3年2月1日号)
- (第392号)地域の歴史 壱町田(令和3年1月1日号)
- (第391号)地域の歴史 市山新田(令和2年12月1日号)
- (第390号)地域に残された災害の記録 関東大震災(令和2年11月1日号)
- (第389号)河川水運と渡し場にまつわる伝承(令和2年10月1日号)
- (第388号)箱根山西麓 江戸時代の猪・鹿対策(令和2年9月1日号)
- (第387号)三嶋大祭りの今昔(令和2年8月1日号)
- (第386号)企画展「三島宿のジオと歴史~写真とマンガで見る~」(令和2年7月1日号)
- (第385号)地域の歴史―笹原新田―(令和2年6月15日号)
- (第384号)石造物は語る―大場―(令和2年5月1日号)
- (第383号)近代的な学校教育のはじまり(令和2年4月1日号)