歴史の小箱
(第151号) ~姿を消した~ 「竹製品」 (平成12年12月1日号)
わたしたちの周辺では竹で出来た道具が急速に姿を消しています。
思い出してください。昭和30年代まで、身の周りには竹製品が数多くあったことを。台所にあった数々のザル、メシザル、シャモジ、サイバシ、大根オロシ、火吹き竹。おむすびを包む竹の皮。これらはもう時代劇のひとコマになってしまいました。
家の中では、花生け、蛇の目傘、水筒、うちわ、買い物篭【かご】、物干し竿【さお】、クマデ、コーリ(行李)など竹を用いた物は数多くありました。
また、子供たちは、切り出しナイフを器用に使い竹からさまざまな遊び道具を作り出します。水鉄砲、紙鉄砲、竹とんぼ、竹ジャンミ、などは子供たちの宝物だったものです。
農作業では竹の材料が大活躍でした。ハザ架けのハザ、野菜などを運ぶボーラ、米や穀類を選別する箕【み】、苗篭、野菜の支えとする小竹等、身近にあり、安い材料の竹は重宝されました。
川では竹製のかにモジリ、うなぎモジリなどが仕掛けられ、これで捕った魚・かには庶民の貴重なたんぱく源でした。
この他、しなやかで曲げがきき、丈夫な竹は伝統的日本家屋の建築材料や道具の部品にも多く用いられていたものです。
しかし、現在ではこうした材料は工場で大量生産される金属・プラスチック・ビニール製品などに取って代わられてしまいました。
おもしろいことに、プラスティックの棒や箕などに竹の節や編み模様が描かれており、元は竹製であった名残を伝えています。
竹製品が姿を消すとともに、町に何人かいた竹細工職人が居なくなりました。親方から弟子へ親から子へ伝えられていた、竹細工の技術も失われ、今の子供たちはナイフも使えなくなりました。
春先は筍【たけのこ】が食卓を賑わし、さまざまな材料として活躍した竹。日本人の感性に親しみ、環境にやさしい材料だった竹とその文化は、近代化・効率の名のもとに、見捨てられてしまうのでしょうか
(広報みしま 平成12年12月1日号掲載記事)
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