歴史の小箱
(第150号) ~木のぬくもり~ 「風呂桶」 (平成12年11月1日号)
一日の労働の後、風呂に身を沈めるひと時は至福の時間でしょう。
写真は昭和の一般家庭に広く普及した家庭用の木の風呂です。
水道が普及する前までは、風呂に水を運ぶのは子供たちの仕事で、井戸や近くの川から水桶で何往復も運んだものでした。
また、薪を割り、風呂を焚【た】くのも子供達が手伝いました。なかなか火がつかず途方にくれた子供もたくさんいました。
これら木の風呂桶を作ったのは桶職人です。三島には7軒、中島に1軒、桶職人がおり、早朝から夜中の11時過ぎまで風呂桶作りに励みました。職人は注文があると風呂桶をつくり、あまった時間におひつや寿司桶なども作っています。
風呂桶の材料は杉やサワラが多く10年くらい使用できます。カヤ・ヒバ・ヒモロを用いると20年~30年持つと言われます。これらの木をクレと言われる丸みのある側板に削り、円筒に組み、竹や鉄の箍(タガ)をはめ、シキ(底板)をはめ込みます。
風呂桶作りの技術には水を漏【も】らさないためのさまざまな工夫が見られます。クレの合わせ目は「木ごろし」といわれる金槌【かなづち】ではたく技術、竹くぎや船くぎで木と木を合わせる、凧糸2本をよじって入れる、あるいはこぶ板(昆布)や和紙を挟んでパッキンにする、など和船の技術が生かされています。
日本人にくつろぎのひと時を与えてくれた木の風呂桶も、高度成長時代に変化を遂げました。薪の風呂から石炭やガスで沸【わ】かす文化風呂へ焚き口がかわり、昭和40年代からは木からポリバスやホーローバスに変わりました。このため、桶職人は風呂桶店・ガス屋に変身してしまいました。江戸時代から日本人の生活を支えてきたさまざまな桶、その桶作りの技術も絶えようとしています。
(広報みしま 平成12年11月1日号掲載記事)
歴史の小箱(2000年度)
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