歴史の小箱
(第143号) ~中郷の農家の人たちが一体となった~コンビナート反対運動の幟 (平成12年4月1日号)
「亜硫酸ガスより子供を守ろう」
「石油化学コンビナートには土地不売」
このような標語を掲げて、中郷地域の農家の人たちがデモ行進し、三島市議会へ請願したり、沼津の公会堂へ耕運機で乗りつけてから40年近くがたちました。
「三島・沼津石油コンビナート反対運動」は大学でも教えられるほど有名になった公害反対運動でした。
始めに昭和35年(1960)、続いて同38年に三島・沼津地区に石油化学コンビナート建設計画がもちあがりました。水源に恵まれ、水深の深い良港があり、広い用地があったためです。
三島の中郷地区には大手石油会社が1日15万バーレル処理する約100万平方メートルの大石油化学工場を建設する予定でした。
この計画に対し、中郷地域の農家の人たちは市民団体と共に反対運動を展開します。
昭和39年2月には「中郷地区コンビナート対策協議会」を結成、バスで、四日市や水島へ現状視察に行き、大気汚染の実態を確かめました。
土地不売の決意書を作り、4月には土地所有者の99%の署名に成功します。こうして5月23日に、1500人集まった市民大会の中で、当時の長谷川三島市長はコンビナート反対の表明を行い、6月議会では三島市議会も反対決議をしました。
また、9月13日には、沼津市において2万5千人の反対総決起大会が開かれ中郷の農家の人たちも耕運機にムシロ旗で多数参加しました。
このような住民運動の高まりの中、10月27日、ついに企業は進出を断念します。
写真の幟は行進や大会に使用されたもので安久町内会が保存しています。
かすれた文字には、生活や環境を守るために絶対にコンビナートを来させないという決意に満ちているように見えます。
(広報みしま 平成12年4月1日号掲載記事)
歴史の小箱(2000年度)
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