歴史の小箱
(第251号)屏風に描かれたふるさと三島【2】 (平成21年4月1日号)
江戸時代の三島宿には、大名、公家、公用の役人、門跡など身分の高い人たちが利用した本陣が二軒ありました。そのうちの一軒で、今回、三島で初めての公開展示(企画展 屏風に描かれたふるさと三島 平成21年3月15日から5月24日)となる世古本陣に関わる屏風について紹介します。
□世古本陣図屏風
世古本陣図屏風 世古直史氏蔵
愛鷹に設けられた馬の放牧場の一つとして知られる愛鷹牧を画題とした屏風です。
上段には放牧場の風景が描かれ、山ろくに放牧されている野馬と、馬の捕獲を手伝う人々や見物人が描き込まれています。中段には世古本陣の門前から黒駕寵に乗って出立する塩谷豊後守の行列が描かれています。門前に立っている裃(江戸時代の武士の礼服)を着た人物が世古本陣の主人と思われます。下段には本陣内の広間で
上座に座す掛り長(塩谷豊後守)と牧士十二名・見習三名との対面の様子が描かれ、その右側に二人の供を従えた馬乗の牧士の風俗が説明的に描き加えられています。
江戸時代、愛鷹山ろくは幕府御用馬の放牧場でした。毎年一回、九月から十一月頃にかけての農閑期に、牧場の最大行事である馬の捕獲が行われました。
牧士とは、幕府直轄の牧場の維持管理を担った役職のひとつで、愛鷹牧では文政年間(一八一八~三〇)頃から十二名となり、牧士に選ばれたのは宿村の問屋・年寄・本陣・名主などをつとめた有力者でした。
三島宿の世古本陣の当主六太夫清道(一八一五~九一)は、文久二年(一八六二)に親類である沼津の大諏訪村にいた広瀬清三郎が退役した代わりとして愛鷹牧の牧士に就任しています。牧士・牧士見習は、ともに幕府より給金が支給されました。野馬方(野馬を牧場より追い出して城に送る役で普段は野馬の飼育を担当)の役人が世古本陣を常に宿として利用していたことが縁で、本陣当主の牧士就任につながったといわれています。
その後、明治元年の徳川家領地、駿河に移る際、当時の駿東郡木瀬川村に移住、静岡藩より牧士取締に任命されています。
牧士の姿
【平成21年 広報みしま 4月1日号 掲載記事】
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