歴史の小箱
(第261号)なついかしのチンチン電車 (平成22年2月1日号)
今回は、富士・沼津・三島 3市博物館共同企画展「レール&ロード」(平成21年12月6日から平成22年2月21日)に合わせ、市内を走っていたチンチン電車について紹介します。
明治三十九年(一九〇六)十一月二十八日、駿豆電気鉄道株式会社により三島六反田(現在の広小路)―沼津三枚橋間に路面電車が開通しました。旧東海道の中央に電車の軌道が敷設され、沿線の住民は鐘のチンチン鳴る音で電車が近づくことを知り、「チンチン電車」と呼び親しんできました。
このチンチン電車は、全国で十八番目に開設され、県下では初の電車となりました。翌四十年(一九〇七)には三枚橋から沼津駅まで延長され、全長約七キロ、三島と沼津を結ぶ貴重かつ重要な交通機関として全面廃止となる昭和三十八年(一九六三)二月までの五十有余年にわたり、多くの市民に利用されました。
明治三十九年十一月の開通日、大社前・小中島・沼津平町 の三カ所に大きな門が建ち、街頭には紅白幕や祝灯が掲げられ、さらには花火や仮装行列、山車、屋台など当日は大変なにぎわいだったようです。この時行われた祝賀会でのエピソードとして、当日来賓の李家知事を乗せた電車が途中で動かなくなってしまい、知事一行は
徒歩で祝賀会場へたどり着いたという逸話が残っています。
沼津行きの路面電車は最初、六反田の車庫(現在のシンコウパーク付近)から出ており、その後、三島広小路駅西側(現在のタクシー乗り場)に停留所ができました。沼津まで単線で、現在のバス停と同じように所々に乗降所がありました。玉井寺と黄瀬川、山王前の三カ所には交換所があり、ここで反対方向から来る電車とすれ
違っていました。現在でも交換所跡は道幅が片側へ張り出して膨らんでいるのが分かります。また、境川付近で、路面電車は境川の手前から軌道が北側へ迂回して道路から離れ、千貫樋の南沿いに進み、再び道路と合流しました。
この電車は、車掌が発車や次の停留所に降りる客の有無を運転士へ知らせるために、ひもを引くと運転席にある鐘が鳴る仕組みになっていました。発車、通過オーライはチン・チンと二つ、停車はチンと一つ鳴るところからもチンチン電車といわれていました。
昭和三十六年(一九六一)六月、集中豪雨により黄瀬川に架かる橋が流失し三島広小路―国立病院前間の折り返し運転となり、しばらくこの区間で営業を続けましたが、三島バイパスとの交差や道路の舗装などの問題が重なり、昭和三十八年二月四日の営業運転で全線が廃止されました。運転最終日には、明治時代の電車を模した「さよなら電車」が走り、翌五日には同車を使用して無料運行が実施されました。
広小路付近を走るチンチン電車
【平成22年 広報みしま 2月1日号 掲載記事】
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