歴史の小箱
(第254号)国立遺伝学研究所六十周年 ミシマザクラと竹中博士 (平成21年7月1日号)
三島市谷田にある国立遺伝学研究所は今年開所六十年を迎え、今回はこの国立遺伝学研究所で誕生したミシマザクラと生みの親である竹中要博士について紹介します。
竹中要博士
国立遺伝学研究所は、遺伝学の基礎とその応用に関する総合研究を行い、学術研究の発展に資することを目的として、昭和二十四年六月一日に開設されました。以来三島市民として初めての栄誉である文化勲章を授与された木村資生教授(理学博士)をはじめとし、数多くの優れた研究実績によって、世界的にも重要な研究所として広く知られています。また「遺伝研」と呼ばれ、春には一般公開を行っています。現在では大学共同利用機関法人情報・システム研究機構所属の研究所となっています。
遺伝研の候補地は三島のほかに静岡、修善寺、伊香保(群馬県)、善通寺(香川県)がありましたが、実験用の広大な土地が確保できる、実験用植物栽培や動物飼育を行うための水や空気が良く、気候が温暖である、東京へ日帰りできるなどの立地条件を有し、なおかつ三島市が熱心に招致したこともあり、現在地への決定となりました。
この遺伝研と三島の関係で思い浮かぶのが、三島市の花である「ミシマザクラ」でしょう。「ミシマザクラ」は竹中要博士により発見されました。竹中博士は、明治三十六年、兵庫県美方郡八田村(現・新温泉町)に生まれ、東京大学理学部植物学科を卒業。卒業後は、韓国の大学の教授となります。
終戦後、国立遺伝学研究所の創設とともに来島し、その後亡くなるまで、細胞遺伝学部長、所長代理などを務めました。
竹中博士は「サクラ博士」「アサガオ博士」として知られ、特に染井吉野の起源について解明しました。「ミシマザクラ」の由来について竹中博士は「染井吉野の起源が分からないので、それを解決する一つの方法として昭和二十六年染井吉野の実を染めて第一回目の実生実験を行った。それらが生長開花した中に一本の美しい桜を生じた。時あたかも、三島市の新庁舎が完成した時であったので、三島市を記念して三島桜と命名した。
この桜は、大島桜に似ているが、若葉に毛のあるのと、花梗および花托に毛のある点で大島桜と異なる。」と説明しています。
竹中博士は、気さくな人柄で多くの人に好かれましたが、昭和四十一年、六十三歳で逝去されました。翌四十二年四月には、市民有志を代表し、三島文化協会が桜の碑を建立し、「遺伝学研究所の桜博士竹中要先生の遺業を記念す」と碑裏面に刻み、その遺徳を永くたたえています。
桜の碑
【平成21年 広報みしま 7月1日号 掲載記事】
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