歴史の小箱
(第97号) ~婦人の仕事着~ モンペ (平成7年8月1日号)
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モンペが広く流行したのは、そんなに古いことではありません。モンペ登場以前、平地の農村では、上体には襦袢【じゅばん】や着物、下半身は腰巻でおおい、田植えや草取りまで行っていたものです。
モンペの原形は山中で山仕事などで暮らす人々の山袴に見られました。形状もほぼ同じで、腰の部分で前後に合わせて紐で結ぶという着用の仕方も山袴からのものでしょう。その呼称は地域によって異なりますが、タチツケ(タッツケ)、カルサン、サルバカマ、フンゴミ、ユッコギなどがありました。
三島周辺でも、箱根や愛鷹の山村地域で、かつてカルサンを着用して山仕事などをやっていたと聞いたことがあります。カルサンの都合の良い点は、股が分かれていていて動き易いこと、腰やでん部がモモヒキのようにピッタリと肌に付かず、暑さを凌ぎやすいことなどがあげられます。モンペは、このような良い点を真似た上、さらに改良を加えて平地の農村地帯にまで流行しました。
カルサンの語源はポロトガル語のcalsaoにあります。ズボンという意味ですから、カルサンも元はズボンのように足の部分が細く、肌に密着するような形だったものと思われますが、いつしか日本の気候風土にあうように改良されたのでしょう。
タッツケもモンペの原形であるといわれます。古くは武士の狩猟用の衣料だったものが山村に伝わり、山袴になったと考えられます。現在では、相撲の呼び出し装束に、古い形のタッツケが名残をとどめています。
懐かしい婦人の仕事着、モンペにも、このような歴史があったのです。
(広報みしま 平成7年8月1日号掲載記事)
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