歴史の小箱
(第101号) ~先輩の苦労を忍ぶ~ 古い国勢調査資料 (平成7年12月1日号)
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国勢調査は5年ごとに行われてきた人口の悉皆【しっかい】調査です。それが今年で16回ということは、第1回の調査は今から約80年前の大正9年ということになります。今ではもう、第1回の調査に携わったという方には滅多【めった】にお目にかかれませんが、親子三代で民間の国勢調査員を勤められたという市内のご老人から古い資料を見せていただき、昔の様子を聞くことが出来ました。
大正9年の10月1日を期して行われた記念すべき第1回の国勢調査が実施されるまでには、国威の昂場を図ろうとする明治政府の周到な準備と意気込みがありました。
明治12年12月1日付けで刊行された太政官政表掛の「甲斐国現在人別調」は、全国人口調査の試験調査として企画されたものでした。同35年には帝国議会で「国勢調査ニ関スル法律」が制定公付。同38年に行う予定となったものの、37年に日露戦争が勃発したために延期となってしまいました。その後、大正7年の議会で実施が確定され、9年の調査に至りました。
9年の調査は初めての国勢調査ということもあって、国民の一人一人に調査の目的や申告書の記入方法等の説明には、担当する市町村の苦労は大きかったようです。
中郷村(現在の三島市中郷地区)では、大正9年の9月9日と10日に、大場座で「宣伝劇」を興行しています。その時の役場から調査員宛の通達には「(略)調査旨趣普及及申告書記入方徹底セシムル目的ヲ以テ興行スルモノニテ益スル処モ可有之ニ付可成多数観相成候様(略)」とあり、なるべく、たくさんの人にみてもらいたいことを訴え、調査員には数百枚の入場券を配布しています。当時の調査員には村や町から特別に選ばれた人々が就き、権威もあり、村内での信望が厚かったといわれますが、調査員の徹底と普及にはそれなりの人格者が必要とされたのでした。
過去16回の国勢調査の内、昭和20年の調査だけは、戦後の混乱もあって行われず、22年に実施されました。
(広報みしま 平成7年12月1日号掲載資料)
歴史の小箱(1995年度)
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- (第101号) ~先輩の苦労を忍ぶ~ 古い国勢調査資料 (平成7年12月1日号)
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