歴史の小箱
(第92号) ~三島町消防組第三部~ 消防手はっぴ (平成7年3月1日号)
空気が乾燥している春先は火事の多い季節です。くれぐれも火の元には注意しましょう。
戦前の三島の消防団が着用していたはっぴがあります。背中には丸に「三嶋」、左手の袖には丸に「水」、前には「三島町消防組第三部、消防手」と染め抜かれています。少しほころびの見られる古びたはっぴに、幾多の火事場を経験してきたであろうかと思いが及びます。
近代になっての三島の消防組織は明治、大正、昭和と時代ごとに組織の改変がなされ、充実してきた歴史があります。明治23年には町村制発布の記念事業として、「み組火消」が廃され、先ず公設消防一部と施設消防四部が編成されましたが、後に更に二部が増強され合計七部の組織が組まれます。大正に入って、町長間宮清左衛門の尽力もあり、現在の消防組織の基礎となる公設消防組が在郷軍人を主体として全町五ヵ所に編成されます。昭和に入ると、三島は北上村と昭和10年、錦田村と昭和16年にと相次いで合併し、そのたびに消防組織も増強拡大をしま す。その結果、錦田村警防団を改編の上新たに八箇所分団を加えました。
ところで、本資料(写真のはっぴ)は、「三島町第三部」とあるところから、錦田村との合併以前の町制時代のものであることが判り、また当時(昭和9年)の第三部の組織を見ると、定員が30人、編成区域は久保町、田町、宮川町となっています。
このように三島町にいおける消防組は比較的早い時代に公設として組織されたものでしたが、周辺の村方ではかなり近年に至るまで若者組による自警組織が残っていました。いわゆる「若い衆」たちの組織がそれで、各村には「宿」があり、若い衆は宿に寝泊まりをしながらお互いの親睦をはかり、村における規律と統一を守り、各自の研鑽を積んでいたものです。若い衆の任務は神社の祭礼の準備や、道や河川の改修に携わることのほか、夜警や消防にも大きな力となっていたものです。
戦後になって、若い衆たちは青年団へと名称も組織も改編されてきましたが、今では、その青年団も解体が相次いでいます。
(広報みしま 平成7年3月1日号掲載記事)
歴史の小箱(1994年度)
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