歴史の小箱
(第87号) ~豊作を願って作った~ 種もみ俵 (平成6年9月1日号)
郷土館に来た小学生に(写真)の資料を見せて、「これなーんだ」と聞いたところ、たいていの子供たちが「大きな納豆」と自信を持って答えていました。なるほど、そうも見えるなあ。と、かれらの答えに感心したものです。本当の答えは種もみ俵です。
長さ約90センチ、胴回り60センチのワラヅトを見て、これが何であるのか、すぐ分かる人は少なくなってしまったことでしょう。
稲作り、米作りを主な生業としていた昔の農家にとって、秋の収穫後に行う種もみ保存は、もっとも重要な仕事でした。供出米や自家で消費するお米を確保することはもちろんのことですが、翌年に蒔く種もみが確保されないことには稲作は始まりません。種もみには、品種を選び、しっかりと実入りの良い健康な種を選びました。脱穀作業に機械が導入されても、種もみ用の稲だけは実を傷つけないように手作業だったといいます。
選ばれた種もみは藁【わら】のこもに入れ、中央と両端を縄で縛り、蔵の中の条件の良い場所に大切に保管されました。つまり適度な温湿度を保ち、かつネズミなどの害に遭わない場所。蔵の天井から吊るしたり、あるいは湿気を招かないように床に特別な木を張ったりもしたそうです。
(写真)の種もみ俵は、市内梅名で採集したものですが、こうした形での保管は戦前までのことだったようです。
このようにして冬を越した種もみは、初夏も間近な4月の下旬頃に蔵から出され、小川や池にしばらく浸して発芽を促し、苗代に蒔きました。余った種もみは炒ってヤコメ(焼き米)にして食べたり、カラスに種もみを拾われないようにと苗代の水口に蒔いたりしたものです。
日本の各地には、種もみに対する信仰のある地域も見られますが、これは、前年の収穫から翌年の農作業開始への稲の生命が連続することを願っての思いから起こったものだと言われています。
(広報みしま 平成6年9月1日号掲載記事)
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