歴史の小箱
(第82号) ~古い糸機【いとはた】道具~ 地機【じはた】の杼【ひ】 (平成6年4月1日号)
無骨な鰹節型の木(写真)が何か判るでしょうか。
地機の杼です。ハタゴ(織機)が新しい腰掛け型のタカハタ(高機)になるまで、それはそれは長い間、ハタゴと言えば地機を指したものでした。おそらく地機の歴史は、人間が機を織って布を作ることを考え出した考古【こうこ】の時代にまで遡るものと思われます。地機の名称は、文字通り、織り手が地面に座り込んで織ることからきたもので、まさに原始的な機織りスタイルだったと言えるでしょう。
一般的に、機には「トントンカタリ」と、筬【おさ】が糸を打ち、杼が往復する軽快なリズムが想像されますが、それはタカハタの音であって、地機ではとうてい軽快にとはゆきませんでした。
地機は、織り手自らが縦糸を腰当てなどで引っ張り、鰹節型の巨大な杼で横糸を通し、同じ杼を使って筬代【おさが】わりとして糸を詰【つ】めるという織り方でした。したがって、一反【たん】の布を織るにも気の遠くなるような時間と労力を要したものでした。
かつて、機織りは女性の仕事とされ、農村の主婦たちは忙しい農作業の暇を見付けては機を織り、家族の着物を作るために機織りにいそしんだそうですが、地機の時代の女性たちの苦労が忍ばれます。
こうした地機が使われなくなった時代は、地域によって差異【さい】がありますが、三島や周辺の農村では、明治の中頃以前のことではないかと思われます。
現在郷土館で所蔵している地機の杼は二本ですが、その内の一本は修善寺町堀切で発見され、寄贈されたものです。長さ60.5㎝、巾6.5㎝の杼は、使い込まれていたことが分かる縦糸の筋跡【すじあと】がくっきりと残っています。古い糸機時代を物語る絶好の資料と言えます。
(広報みしま 平成6年4月1日号掲載記事)
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