歴史の小箱
(第83号) ~三島で毛糸を作った~ 紡毛機【ぼうもうき】 (平成6年5月1日号)
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この紡毛機がどんな歴史と民俗を秘めているのか、それを探ってみていと思います。
紡毛機の全体像は、一見、昔の小学校の机型ですが、足元はミシンの踏み台のようになっていて、机の下側には踏みこんだ力を回転に変える歯車が有り、チェーンで別の歯車と連動しています。歯車の回転は、机前面の大きな木製の車に伝わり、更に凧糸による連動で、机の上端に取り付けられたツム(糸車)を回転させる仕組みになっています。
明らかに手作りの機械であることが判ります。本体は古くなった机の再利用のようです。鉄製歯車は自転車用の中古品を取り外して使っています。
本来、日本の農村における糸作りは、蚕からとれる絹糸か綿花からの綿糸を主に、麻や藤などの植物繊維を利用した糸作りが中心となってきました。ところが、庶民の衣料が極端に不足を来した戦時中のことです。日本の各地で、羊を飼い、羊毛をとって繊維不足を補おうという動きがみられました。
三島の近くでは、御殿場の神山に国立の種羊場ができ、羊飼育の希望者には種羊を貸し出し、子羊が生まれるとその子を返すという方法で、近隣の農村に羊の飼育を奨励していました。
この紡毛機は、そうした社会背景の中、徳倉の遠藤栄太郎家で手作りされ、毛糸を産する目的で使われたものです。
産出された羊毛は、主に軍部に供出され、残りの一部は自家用糸となり、家族の衣料を補ったものだといいます。手織りの羊毛製品のホームスパンは、当時のこのような事情から作られたものです。
(広報みしま 平成6年5月1日号掲載記事)
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