歴史の小箱
(第186号) 沼津垣 ~箱根の篠竹(しのだけ)で作られた~ (平成15年11月1日号)
日本人の生活に古くからさまざまな形で利用され続けてきた竹。今私たちの周囲からその竹製品が急速に姿を消しています。
台所にはザル、メシザル、煮揚げザル、シャモジサシ、サイバシなど。農作業ではボーラ、パイスケ、箕(み)、トオシ、苗カゴ、魚を捕ったモジリやビク、子供のおもちゃの水でっぽう、竹トンボ、竹馬など、多くのものが金物やプラスチックに替わってしまいました。同時に山に自生している竹を採り活用する風習もなくなりました。
箱根西麓には箱根篠竹(女竹)といわれる直径1センチメートルほどの細い竹が各地に自生しています。かつては、晩秋の農閑期になると三島から裾野、御殿場の農家の人々は箱根の山中に入り、箱根竹を切り出し出荷したものでした。これらはキセルのラオや、行李(こうり)、家の壁芯となるコマイダケとして利用されていました。三島では山中新田の人々が昭和30年代まで、箱根竹を大量に切り出し、キセルのラオ用に短く切り沼津へ出荷していたものです。
また古くから箱根篠竹が活用されていたものに「沼津垣」があります。江戸時代以前から作られ続けていたといわれる沼津垣は、冬の強い西風や海岸からの砂を防ぎ、家や農作物を守るために利用されていました。江戸時代の沼津を紹介した浮世絵や絵図を見ると、東海道の沿道に沼津垣が多く描かれています。
沼津垣は16本に束ねた篠竹を斜めに杉綾模様に編み込んだものです。
1.8メートル幅の沼津垣を作るには、編みこみ作業から周囲に竹や木の枠をつけて完成するまで、およそ三日間かかり、手間を必要とする仕事です。近年、沼津垣を製作できる職人がわずかとなったため、沼津市シルバー人材センターが中心となりその技術を習得し、製作販売を開始しました。現在の沼津垣は防腐剤を煮込んだ木柱を使うなど工夫が凝らされ、15年は持つ丈夫な竹垣となっています。
(広報みしま 平成15年11月1日号掲載記事)
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