歴史の小箱
(第185号) 三四呂(みよろ)人形-ハチ公 ~渋谷へ通って作られた~ (平成15年10月1日号)
郷土資料館の三四呂人形コーナーに「ハチ公」という秋田犬と愛くるしい少女の人形が展示されています。作者の野口三四郎が1ヶ月間、住まいのある上野から渋谷のハチ公の所へ通った末作られた作品、と妹の故渡辺ちえさんが語っていました。
野口三四郎が魅せられた「ハチ公」とは、東京・渋谷駅の待ち合わせに利用される像の「ハチ公」のことです。
今から約七十年前、昭和7年(1932)、この頃の日本は世界大恐慌の中で苦難の年でした。その10月4日の朝日新聞に「いとしや老犬物語 今は亡き主人の帰りを待ちかねる七年間」の記事が掲載され、一躍渋谷駅で静かに亡き主人を待ち続けるハチ公が日本中から注目を集めました。
多くの子供達がハチ公と友だちになりたがり、遠方からわざわざハチ公を見に来る人々が日に日に増え、ハチ公の名をとったおみやげもできます。昭和9年には駅前に銅像が建ったのです(これは戦争中供出され、戦後再建)。人々は暗い世相の中、一筋の明るい話に引かれるものなのでしょう。
ハチ公は、近代農業土木の祖といわれる東大教授上野英三郎先生が渋谷駅の近くの家で飼っていた秋田犬です。先生がわざわざ秋田県大館(おおだて)に注文して取り寄せたものです。大正12年生まれのハチ公は、東京に来ると、毎朝他の2匹の犬とともに先生を東大駒場や、渋谷駅などに送り迎えしていました。ところが同14年(1925)先生は大学で急逝します。
ハチは、先生亡きあと転々と預けられ、最後は渋谷の小林家に引き取られて、かつての主人との思い出の駅周辺にあらわれていたのです。駅から出てくる人々を見ているハチ公があたかも亡き主人を今も待っていると思われたのでしょう。昭和10年(1935)、ハチは海外にも紹介されたり、映画になったりと有名になっていましたが、フィラリアにより3月5日、容態が急変、その3日後の3月8日、ハチは駅から離れ、孤独に13年(人間にすると90歳)の一生を終えました。
野口三四郎は「ハチ公」を張子(はりこ)ではなく石膏(せっこう)を素材に制作しています。秋田犬特有のピンと立った耳(片方の耳は横向き)、丸まって太い尾などは石膏の方が表現し易かったものと思われます。その上に和紙を貼り、少女から食べ物をもらって嬉しそうな犬の表情が淡彩で生き生きと描かれています。
(広報みしま 平成15年10月1日号掲載記事)
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