歴史の小箱
(第184号) 「古今伝授とは」 ~古今伝授のまち三島~ (平成15年9月1日号)
JR三島駅前をはじめ、市内に「古今伝授のまち三島」という標柱が立っています。
「古今伝授(こきんでんじゅ)」とは、簡単にいうと『古今和歌集(こきんわかしゅう・古今集)』の解釈についての秘伝です。その『古今和歌集』は、醍醐(だいご)天皇の命により、紀貫之(きのつらゆき)・紀友則(きのとものり)・凡河内躬恒(おおこうちのみつね)・壬生忠岑(みぶのただみね)ら四人の撰者が、延喜(えんぎ)5年(905)に編纂した日本で最初の勅撰(ちょくせん・天皇の命により編まれた)和歌集です。以後二十一集の勅撰集が編まれますが、どの集も古今集を基本としており、歌道をたしなむ者にとって、必ず知らなければならない重要な歌集でした。皆さんご存じの『小倉百人一首』においても、古今集以外の歌集から選ばれている歌は二首から十四首程度なのに対し、古今集からは二十四首と群を抜いています。
「古今伝授」は古今集の解釈を師から弟子へ秘伝という形で後世に伝えたものです。古今集の成立後、ほどなく始まったと推定されますが、形式化されたのが文明3年(1471)三島で行われた、東常縁(とうのつねより)から連歌師宗祇(そうぎ)への伝授といわれています。古今伝授を受けるには、弟子は師に対して誓状(ちかいじょう)を提出し、一切他言しない事を約束させられます。その上で古今集について、当時は記されていなかった清濁や句読点などを付けた読み方、続いて語義や語釈についての講釈を受け、師は弟子にそのききがき聞書(いわゆる講義ノート)を提出させ、必要な事項を補筆訂正し、伝授を証明する奥書を記しました。そして最終段階では、書くことが許されない秘説が口伝(くでん)により伝えられ、更に重要な事項は一通ずつ切紙(きりがみ)に書いて伝えられました。その内容は、三木(さんぼく:おがたまの木 ・めどに削り花 ・かはなぐさ)、三鳥(さんちょう:よぶこどり・ももちどり・いなおほせどり)などの解釈です。
これに対し、江戸期の国学者本居宣長(もとおりのりなが)が『排蘆小船(あしわけおぶね)』で「古今伝授大いに歌道のさまたげにて、此道の大厄也」と述べ、歌の良し悪しよりも歌道家の格式を重んじる風潮を痛烈に批判しました。
写真は、中島・伊達家文書の『古今和歌集大傅授』(写本)です。
(広報みしま 平成15年9月1日号掲載記事)
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