歴史の小箱
(第182号) 人面墨書土器(安久・箱根田遺跡) ~古代の祭祀の跡~ (平成15年7月1日号)
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中郷地区の南、大場川沿いにある「安久(やすひさ)」は、弥生時代から稲作が営まれていた歴史の古い地域です。平成11~12年に、小字箱根田で商業施設建築に先立ち約2800平方メートルに及ぶ発掘調査を実施しました。
その際、奈良~平安時代の人の顔を墨で描いた人面墨書土器(じんめんぼくしょどき)が12点出土しました。このほかにも人形(ひとがた)木製品、舟形木製品、斎串(いぐし)、土師器(はじき)、須恵器(すえき)、木簡、馬・牛の骨など多様な遺物と、河川跡・掘建柱(ほったてはしら)建物跡の遺構が検出されました。
古代において土器に墨書することは、土器の所有を示すだけでなく、祭祀や儀礼に伴って書かれています。神や仏に捧げるもの、あるいは、土器や人形に疫神を表し、自分についた災いや穢(けが)れを祓(はら)うため、土器や木製品にそれらの穢れを乗り移らせ川に流して祓った、とも考えられています。
掘建柱建物は付近にあった津(港)に伴う倉庫と推定されます。
こうした遺物や遺構は官衙(かんが・国の役所)に関係した所からの出土例が多く、箱根田遺跡もまた、郡衙の役人達が穢れや災いを祓う祭祀を行っていたと考えられます。 安久はすでに南北朝期には「安富郷」として文献資料に見え、長く三嶋大社の荘園でした。
鎌倉時代初期、幕府を開いた源頼朝は三嶋大社に恩を感じ、安久の由緒正しい百姓を七人選び三嶋大社の大祭に輪番で代参させました。これを「頼朝(らいちょう)」と呼び、代参の道を「頼朝道(らいちょうどう)」と言います。安久から現在の136号線の東側を北へ上り、青木集落を通り、二日町から大社へ続く道です。
(広報みしま 平成15年7月1日号掲載記事)
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