歴史の小箱
(第190号) 三四呂(みよろ)人形~張子(はりこ)のおひなさま (平成16年3月1日号)
三月といえば桃の節句、女の子のいる家には雛(ひな)人形が飾られます。
三島出身の人形作家野口三四郎(1901~37)にはかわいい女の子がひとりおりました。この桃里(ももり)ちゃんを三四郎はとても可愛がり、桃里ちゃんをモデルとした張子の三四呂人形「桃子(ももこ)」「里子(さとこ)」を作製しています。
三四郎が作製した桃子、里子は一体しか残されていませんが、この複製は戦後、お土産ものとして素焼きで作られ、多くの市民や観光客に愛されてきました。
また、桃子、里子を主人公にした「菜の花雛の話」という版画で描かれた絵とお話が残されています。江戸時代、美しい村里に住む貧しい姉妹がお人形のお雛さまは買えないので、二人で菜の花を材料としてお雛さまを作り、お節句のお祝いをしたお話で、昭和10年(1935)の春に桃里ちゃんのために作られたものです。しかし、その年の5月、わずか3歳で桃里ちゃんは疫痢で亡くなってしまうのです。
この他に三四郎はいくつかのお雛さまを作製しています。
絵馬に内裏雛を浮き彫りし、彩色を施したもの。風変わりなものでは、侍と和傘をさした和服の女性が対になったもの。二体が立つ台の下に「JAPAN」と書いてあり、背景に富士山が描かれています。このタイプの人形はいくつか残っており、お雛さまというよりも外国から来た観光客向けに制作されたおみやげかもしれません。
伝統的なお雛さまを思わせる写真の「立ち雛」は張子の上に和紙を貼り水彩で顔や着物を描いたもので、高さは約13㎝。張子の紙の軽やかさ、淡い水彩の繊細な着物の文様と、ゆったりしたお顔、さっと引かれた目と口元。手をかけて作られた上品なこのお雛さまは愛児桃里ちゃんのために作られたお雛様ではないか、と思われます。
長く、桃里ちゃんの兄(冬樹氏)の手もとにあったこのお雛さまは、昨年郷土資料館に寄託され、このたび修復が終了して郷土資料館にて常設展示しています。
(広報みしま 平成16年3月1日号掲載記事)
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