歴史の小箱
(第51号) 洗濯板と洗濯の習俗 (平成3年9月1日号)
三島の川端から、主婦たちの洗濯風景が消えて何年も経ちます。ゆう水が豊かだったころは、見慣れた光景でしたが、今では懐かしいふるさとの思い出として、語られるばかりです。
昭和二十年代くらいまでの花嫁の婚礼道具に、洗濯板、たらい、張板の三点セットは欠かせない持参品でした。最近はこうした道具が使われなくなり、洗濯板を知らない人すら増えているといいます。これは、電気洗濯機の出現によるとされます。今回は、この忘れ去られた洗濯板と昔からの洗濯風習などについて調べてみました。
展示中の洗濯板は、幅二十三cm、長さ五十四・五cm、厚さ二cmのものです。表裏に、上下を少し残して、中央部分には、弧状の刻み目が細かくつけてあります。人のあばら骨のようにも見える刻み目の部分で、洗濯物に石けんをこすりつけて、もみ洗いをします。下向きに弧を描いている刻み目には石けん液がたまり、石けんの無駄使いを防ぐようになっています。この洗濯板をたらいの縁に斜めにかけ、しゃがみこんで洗ったものです。
洗濯板が使用されるようになったのは、明治末から大正にかけてのこと。幕末、西洋洗濯屋が日本に持ち込んだものが後に普及したものと伝えられます。石けんの工業生産化の進んだヨーロッパでは、十九世紀初めからウォッシュボード(洗濯板)が使われたようです。
ところで石けんは、十六世紀にキリスト教宣教師がもたらした文明品でした。シャボンと呼ばれ、幕末にはオランタ医が作っていましたが、一般庶民の間で洗濯用に使用されるようになるのは、ずっと後のことです。日本人が石けんの替わりに使っていたのは、灰汁やサイカチ(落葉樹)の煎じ汁といった身近にある植物などでした。
ちなみに、三島やその周辺で聞いた話によれば、女性の洗髪には、そばや大豆の煮汁、山で採れた粘土などを使っていたそうです。
石けんや洗濯板の出現は、洗濯機以上に人々の暮らしにカルチャーショックを与えたものでしょう。
(広報みしま 平成3年9月1日号掲載記事)
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