歴史の小箱
(第218号)背負い運搬具 背負子(平成18年7月1日号)
背負子をはじめ、草履やわらじなどの藁細工は、農閑期の農家にとって大切な仕事の一つでもありました。しかし今では、時代の流れに押され、なくなりつつあります。昔の農家の技や藁の効用が人々のの間から忘れられてしまうのはとても寂しいことです。
背負子は梯子のような木の枠に、荷物を取り付けて運ぶ運搬具です。背に当たる部分の枠には藁縄(わらなわ)を巻いてクッションにしています。枠を背負うための背負縄(せおいなわ)や、荷物を枠にくくりつけるための荷縄(になわ)がありますが、背負縄には布きれを混ぜて肩への当たりを和らげることもありました。
関東や中部では背負子ですが、地方により名称は様々です。西日本では負子(おいこ)、北陸・九州などでは背板(せいた)、東北では痩馬(やせうま)です。伊豆では「ショイコ」と呼ぶのが一般的ですが三島では、「ショイワク」と呼ばれていることが多かったようです。
また、背負子は日本だけでなく、ブータン、タイ、中国など東南アジアにも広く分布しています。韓国ではチゲ、中国では背架(ぺいちゃ)と呼ばれています。
背負子は、近世になり、農山村で商品経済が発達してくるのにともなって、山の産物を町へ運ぶために普及したと言われています。重さやかさのある物を比較的遠くまで運ぶのに使われていました。起伏のある道を歩いて、重い荷物を遠くまで運ぶときは、しばらく歩いては少し休む、これの繰り返しでしたが、このような動作に背負子が便利だったようです。たいていの農家には家族の人数ほどの背負子が用意されていました。
背負子は、背に当たる部分に藁が使用されていましたが、藁は稲作の副産物で手軽に取得できるうえ、丈夫でしなやかで、加工しやすく、また保温性にすぐれていました。クッションとして使用したことは、農家の生活の知恵でした。
今日では昔ながらの背負子は、ほとんど姿を消しましたが、新しい背負子が登山で使われています。材質は木がステンレスやアルミニュームに変わり、藁が化学繊維などに変わりましたが、昔のアイディアがそのまま生かされています。
【平成18年 広報みしま 7月1日号 掲載記事】
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